ハッスルおばあちゃんのアルゼンチン日記


by ruriwada

瑠璃通信19

〔帽子が起こしたつむじ風〕
アルゼンチンに来る前に、アルゼンチン人の友人から、生活して行く面で色々アドバイスを受けた。その一つに「帽子をかぶるな」、があった。アルゼンチンでは帽子を被ってる人はほとんどいない(冬の防寒用は別だが)。被ってると観光客と思われ、スリや引ったくりの被害に遭いやすいからだそうだ。
ブエノスアイレスに着いたのは10月始めで、日本の4月に当たるが、まるで初夏のような暑さだった。余りの暑さに耐えられず、帽子を買うことにした。どうせ帽子を被ってなくたって、充分過ぎる位目立ってる。ブエノスアイレスの町を歩いていて、東洋人に出会うことは滅多にないのだから。
開き直って買った帽子を被ってホテルに戻ったとたん、仲良しのボーイさん達がいっせいに「あ!」と、帽子を指差す。
「え?」と私。帽子だけに「ハット」した、なあんちゃって・・おそまつでした。
思わぬリアクションに目を白黒させてると、一人が「それ被ってボカに行っちゃダメだよ」と言う。ますますこちらは??
ブエノスアイレスには4大サッカーチーム(Racing Club、 River Plate、Boca JuniorsとIndependiente)があり、中でもボカチームとリベルチームは大のライバル。ま、タイガースとジャイアンツみたいなもの。で、私が買った帽子がたまたまリベルのだったと言う次第。
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          向かって右の帽子がボカ、左がリベル
たちまちホテルのロビーでサッカー論争が始まり、私はボカのファンだと言うボーイさんに「べつにリベルのファンじゃないけど、色が気に入ったから買ったの。ごめんね」と言うと、彼は「ノープロブレマ」と苦笑い。
翌日からがもう大変。工事現場の横を通ると、工事のお兄さん達が笑いながらだけど、「ボカ・メホール!ボカ・メホール!(ボカの方が良いよ)」の大合唱。と思えば、そこのけそこのけ車が通るとばかり、いつもは歩行者など眼中にないドライバーが目の前で急停車して、「どうぞお先に」のゼスチュア。これはリベルファンらしい。
歩道ですれ違う何人かのうち一人は私の顔を見てウインクし、親指たててグーのサイン。
ある日入ったレストランで、帽子をテーブルに置いておくと、ウェイターが、人差し指を左右に動かしながら「ノー、ノー」と言う。
え?何?帽子をここに置いちゃダメってこと?訳が分からずキョトンとしていたら、ウェイターは自分の胸に着けたバッジを指差し、「ボカ」と言う。ハハーンと納得。
ここでも、「別にリベルのファンじゃないけど、色が気に入ったから買ったの」と言うと、にこにこして「オーケイ」
レストランに入る度、こんなことが何度か続いた。家の近くのレストランでは、最初入った時は、ウェイターが帽子を指差して顔をしかめるので、こちらも笑いながら「ペルドーネ(ごめんね)」と謝っておいた。
数日してまた、今度は帽子なしで行くと、「帽子はどうした?」と聞くから「かぶるの止めた」と答えた。するとこのウェイター、注文もしない料理を持って来て、「これはボカからのプレゼントだ。食べてくれ」と言う。これにはびっくり。それ以来、この店の前を通る時には帽子を隠すことにした。
とまあ、ここまでは笑い話ですんでいたのだが・・・
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               公園でサッカーに興じる子供達
ボカ地区に近いレストランに入った時のこと。注文を取りに来たウェイターが私の帽子を見ると、夫に「あなたもリベルか?」と聞く。夫が「ノー」と言うと、彼は「それじゃ、ご主人には食事を出すが、奥さんには出さない」と来た。
笑いながら言ってるので、冗談だと思い、こちらも笑いながら「私は別にリベルのファンじゃない」と言うと、「帽子をバッグの中に入れろ。それなら奥さんにも出す」と言う。
私が帽子をバッグに入れると、「ビエン(良し)」と満足げな顔。
それから料理を運ぶたびに、私の顔を見て「アオラ・ボカ?(ボカのファンになったか?)」と念を押す。最初は笑って「シー、シー(イエス、イエス)」と答えていたのだが、あまりのしつこさに気味が悪くなってきた。確かに顔は笑っているのだが、目が異常に輝いて狂気を感じさせる。
サッカーの試合があるたび乱闘騒ぎが起きるので、競技場の周辺は通行止めになり、警察官が警戒に当たるお国柄だ。特にボカのファンには熱狂的な人が多いと聞く。そのうち本当にボカのファンからボカボカにされるかも知れないと、リベルの帽子を被るのは止めにした。
夫が「ボカの帽子を被ったら、どういう反応があるかな?」と言うので、今度はボカの帽子を買って被ってみた。すれ違う人達が満足そうにニヤッとするのは何度か経験したが、文句を言われたことはない。
リベルの選手は上流出身が多く、ボカは反対に下層階級出身が多いと聞いた。ファンもきっと同じで、リベルのファンは紳士が多いので文句を言わないのかも。
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              サッカーの練習場
それにしてもアルゼンチン人のサッカー熱はすごい。先日、パンアメリカンカップにボカが優勝した晩など、アパート前のサンタフェ大通を一晩中、若者達が車を連ねて、車の窓から身を乗り出しながら、クラクションを鳴らしつづけ、大音響で音楽を流し、歌を歌って大騒ぎだった。目の前の警察署は知らん顔だ。
この国のテレビは事故と天気予報と殺人の他はサッカーしか放送しないんじゃないかと思うぐらい、どの局も一日中サッカーの放送をしている。
気狂いじみたサッカー熱を見てると、政府は貧困層の若者の不満が爆発して暴動が起こるのを防ぐために、マスコミを抱き込んで、サッカーで発散させてるのではないかと勘ぐってしまう。
因みに数ヶ月前、ブッシュ大統領のお嬢さんが來亜した時、サンテルモ地区のレストランでバッグを盗まれる事件があった。足元に置いたバッグを近くのテーブルにいた男が足で蹴り上げ、入り口付近にいた女がそれを受け取めてサッと外へ。近くにいたSPが気が付いた時には、二人とも雑踏に紛れて雲隠れ。その間実に数秒間の早業だったそうだ。
鮮やかなキックオフとディフェンスの見事な連携プレーはさすがサッカーの国。犯人はプロのサッカー選手じゃないかと、友人達と大いに盛り上がったが、反米の人が多いアルゼンチンの国民は、ブッシュのSPを出し抜いたと、拍手喝采だったようだ。
# by ruriwada | 2007-08-02 23:56 | Comments(0)

瑠璃通信18

〔アマデウス〕
昨年クリスマスの少し前の日曜日。夫と私はブラブラ、近くのパレルモ公園の中のバラ園に向かった。このバラ園では、毎週日曜日の夕方4時から無料のイベントが行われる。タンゴやフォルクローレ、ミロンガ等、毎回違うことをやるので、楽しみにしてるのだ。着いてみると、夏の間は6時半からとなっていた(日本と反対に12月は夏)。
出直そうと家へ向かっていると、途中の公園で何やら大げさな仕掛けの舞台を作ってる最中。
「何ですか?」と聞くと「アマデウス」だと言う返事。え?と怪訝な顔をすると、7時からモーツアルトを演奏するのだと教えてくれた。
クラシックじゃ面白くなさそうだけど、バラ園も今日は音楽のようだし、こちらの方が家に近いから、ついでに聞いて行こう。どうせ家に帰ってもすることがないし。
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          モーツアルトを聞きに集まり始めた人々
ステージ近くはすでに人が一杯だったので、少し離れて舞台作りを眺めているうち、ふと気が付くと、周囲は人、人、人の波。大通りも通行止めになり、皆道路に敷物を敷いて座っている。
私も持っていた新聞紙を広げて座る。周りにいた老婦人達にも新聞を分けて上げると喜んで色々話してくれた。
毎年クリスマス前に、ここでアマデウス(モーツアルトを演奏するオーケストラらしい)のイベントが行われる。これを聞かないと年を越せない、見たいな感じで、日本の第九といったところか。近郊の町から1~2時間かけて列車でやってきたとのことだった。
開始予定の7時頃には数万人の人出になっていて、全く身動きできない状態だ。よぼよぼの老人から子供までいる。若者の一人が目の前の木に上ると、数人が続けて上った。
日本で若者が集まるのはヘビメタで、クラシックはあまり人気がないが、アルゼンチン人は、老いも若きもクラシック好きらしい。
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          気がつくと回りは人でいっぱい
そのうち少し離れた場所で大声が聞こえ始め、背の高い夫が見ると、男女がケンカを始め、女性が男性を殴っているという。最初は皆面白がって高みの見物だったが、しばらくして仲裁が入ったらしく、静かになった。
この国の女性達は実に強い。店や郵便局や行列で、大声で喚きたててる女性を何度も目にした。ひかえて男性の方は、小さいうちからレディファーストを叩き込まれたせいか、内気で優しい感じの人が多いようだ。もちろん、例外は沢山いるが。
さて、開始時間になったが、ステージではまだ準備中だ。20分も過ぎた頃から、人々が拍手を始めたので、出演者が出てきたのかと思って、伸び上がってステージを見たが、誰もいない。
開始を促す拍手だと聞いて感心してしまった。日本人だったら大声で「早くしろ!」と叫んだり、怒り出したりするだろう。
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           木に登って聴く若者達
予定時刻より30分過ぎてやっと楽団員達が現れた。ステージを見れない人達のために、巨大な幕が張られ、ステージの様子が写っているので、演奏者が紹介される度に割れるような拍手が起こる。
演奏が始まったとたん、数万人の群集が、針一本落ちても聞こえるほどシーンと静まり返った。少しでも物音を立てたりすると、たちまち周囲から睨まれたり、叱責を受けてしまう。
モーツアルトの曲だけが、時に歌も交えて次々演奏される。人々は目をつぶって耳を傾けている。その顔はほとんど恍惚状態だ。クラシックに熱中出来る人がこんなに大勢いるなんてびっくりだ。
2時間ほど聴いて、疲れたのとトイレに行きたくなったのとで帰ることにしたが、それが簡単には行かない。声を出すと怒られるので、ゼスチュアで「失礼」と言いながら、隙間なく座り込んでいる人たちの間に足を割り込ませながら進む。30分以上かかってやっと人の群れから抜け出ることが出来た。
音楽も素晴らしかったが、アルゼンチン人の大衆の、高尚な趣味を知って感心してしまった。
# by ruriwada | 2007-07-25 01:18 | Comments(0)

瑠璃通信17

メンドーサとアンデス山脈への旅 Ⅳ
 翌日,帰りのバスの出発は夕方7時だから、荷物をホテルに預けて、郊外にあるサン・マルティン公園内の動物園にコンドルを見に行くことにした。
 地図を頼りに歩いていたら道に迷い、ポリスが二人いたので尋ねた。
「歩いて行くのはとても無理だ。バスに乗った方がいい。自分達も同じバスで近くまで行くから、ここで待っていなさい」と言うのでバスに乗ることにした。
「バスの料金はいくら?」と聞くと「一人1ペソと10センタボ」とのこと。財布を出して小銭を数えたが20センタボ足りない。私達の様子を見ていたポリスがポケットから20センタボ出して、「これを使え」と言ってくれたのでびっくり。
ブエノスアイレスではアルゼンチン人から、「警官はワイロをとる」「警官はあてにするな」などなど、散々吹き込まれていたからだ。
アルゼンチンの田舎の人達は純朴なんだね。バッグの中を探すと小銭があったので、お礼だけ言っておいた。バスを降りて歩き出してからしばらくして、去って行くバスを見ると、中で二人のポリスがいつまでも私達に手を振っていた。何だか胸の中がふわっと温かくなった。
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                 サンマルティン公園内
公園の入り口で聞くと、動物園の入り口まで3キロあるそうだ。バスで行った方が良いと言われたが、公園が綺麗なのでブラブラ歩いて行くことにした。ジョギングの人達が何人も追い抜いて行く。乗馬中の人達ともすれ違った。自然公園といった風で小さな沢も流れている。大きなスタジアムもあるが、荒れた感じで長い間使われていないようだ。
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                 動物園入り口
暑さと疲れでフラフラになった頃やっと動物園にたどり着いた。入場料一人5ペソ(約200円也)。敷地は広大で山あり谷ありの、自然の地形をそのまま活かした動物園だ。やはり子供連れが多い。子供達が人懐こく「どこから来たの?」と問いかけて来る。「ハポン(日本)」と答えると皆キョトン。
動物の種類はそれ程多くはないが、猛禽類はけっこう多い。お目当てのコンドルは高い岩場の上に十羽ほど見えた。岩場から岩場へ飛ンドル姿も見ることが出来て大満足。
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疲れたので帰りはバスで町の中心まで戻った。歩道のオープンテラスで食事をしたが、物乞いが何人も寄って来るので一寸ショックだった。
美しい街路樹の下で優雅に食事を楽しむ人達と、その人達にお金をせびりに来る人達。Bブエノスでは見慣れていたが、こんなのどかな田舎町でも貧富の差が大きいのだろう。
メンドーサのバスターミナルは結構大きいのだが、発着場は押すな押すなの大混雑。観察してると、どうも一人の乗客に数人の見送り人がいるようだ。出発するバスに向かって大勢が手を振ったり投げキスをしたり、にぎやかなこと。これじゃ混雑するはずだ。
やっと待合室の椅子に座れたと思ったら、目の前で小競り合いが始まった。二人の男性が、一人の男性を後ろ向きに壁に押し付け「ポリシア!ポリシア!」と叫んでいる。どうやらスリを捕まえたらしい。
捕まった方は逃げようと必死で暴れるから、野次馬が加勢してスリを床に転がし、若い男が足で蹴りつける。数分して警官が二人自転車で駆けつけた頃には私達の回りは野次馬で一杯。
「あ、こんな時が一番危ないのよね」と、二人で急いでその場を離れた。その後トイレに行き、出発を待つ列に並んだら、夫が「おい、リュックのチャックが開いてるぞ」と言う。
急いでリュックを下ろして見ると、三つあるチャックのうち、財布を入れた場所のチャックだけが開いている。中を確かめると財布がない。やられた!
トイレで財布を出してチップを払った時、後ろにいた人がじっと財布を見ていたが、私が財布を戻す場所を見ていて後をつけたのだろう。それにしても鮮やかな手口だ。中身はわずか百円位だったが、財布は母の形見で気に入っていたのでショック。
# by ruriwada | 2007-07-20 04:06 | Comments(0)

瑠璃通信16

メンドーサとアンデス山脈への旅 Ⅲ
翌日のボデガ(ワイナリー)見物ツアーは10時の出発。ツアーは私達夫婦だけとのことで、乗用車だった。つまり専属の運転手とガイドつきの大名旅行ということ。
最初に訪れたボデガ・ラ・ルラルは博物館を兼ねていて、古いワイン製造関連の道具類が沢山見られて面白い。牛皮を使った物が多く、牛一頭の皮をそのまま使った発酵袋もある。
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              牛1頭分丸々使ったワインの醗酵袋
山積みにされてるブドウをつまんで食べて見ると、小粒だがとても甘い。アルゼンチンではポピュラーなマルベック種だそうだ。
ブドウの搾りかすが沢山あるので、肥料にするのか尋ねると、もう一度絞って安いワインを造るのだそうだ。夫がいつもスーパーで買ってくる格安ワインはこれかも。タネと皮は家畜の飼料、葉や茎は肥料になるそうで、ブドウは捨てる部分がないのだ。
ある程度見学者の人数が集まるとガイドが案内してくれる。最初にスペイン語、その後、私達のために特別に英語で説明してくれたが、あまりにも早口で良く分からない。私達のガイドのパウラが補足して説明してくれた。
工場内を一回りすると、マルベックワインの試飲と販売。皆が争うように数本、あるいはケースでワインを買うのを見て、夫もつられて2本買った。マルベックと言っても、値段はピンからキリまであるから、中間の1本14ペソのを買う。
家に帰ってからガイドブックを読むと、ワイナリーで買うと割高だから、町のスーパーで買えと書いてあったので、がっくり。
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その後ボデガ・ラ・アグリコーラに行き、製造工程の見学と数種類のワインを試飲してから、ここのブドウ園内にあるレストランで、パウラと一緒に食事。
木々に囲まれた瀟洒なレストランで、ここでも3種類の美味しいワインをたっぷり飲みながら、アサドに舌鼓を打つ。
アサドとはチョリソーと言う、フランクフルトのお化けのような巨大ソーセージや、牛、ブタ、ニワトリ、羊などの肉の塊を時間をかけて焼いたものだ。これが実に美味い。我が家の経済状況からすると日本じゃ考えられない贅沢三昧だ。
食事中パウラに色々話を聞くと、母と娘一人の母子家庭に育ち、大学でガイドの勉強をしたと言う。アルゼンチンのガイドの資格を得るのは難しいのだそうだ。
それにしても、パウラの日本についての知識のなさには参った。「犬を食べるの?」から始まって、何もかも韓国と中国と日本とごちゃまぜ。しまいにパウラの方が笑い出してしまった。
それでも日本のテクノロジーについては関心を持っていて、「テレビで見たけど、日本ではお手伝いロボットがいるんでしょう?」と聞く。どうやらドラえもんの世界が日本では実現してると思っていたようだ。これには今度は私のほうが吹き出してしまった。
昼食後車でホテルまで送ってもらい、パウラに別れを告げたが、たった二日で情が移り寂しかった。
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                メンドーサの中国料理店のアサド
 一休みしてから又友人を電話で呼び出し、ウィンドーショッピングを一緒に楽しむ。 夜、3人で又昨夜のレストランに行ったら、ダリ似のウェイターが驚きと喜びを一緒にした、くしゃくしゃの笑顔で「オー、オー」と、両手を広げ、旧来の知己を迎えたような歓迎振り。全く、この陽気な国民は二度目に会った時はみなアミーゴ(友達)なのだ。
 この日もお腹が膨れ上がるまで食べ、美味しいワインをたらふく飲んだ。ワインの方は別料金だが、アルコールが入ると気が大きくなって懐具合など忘れてしまう。
# by ruriwada | 2007-07-18 03:45 | Comments(0)

瑠璃通信15

メンドーサとアンデス山脈への旅 Ⅱ
翌朝7時半、英語のガイド嬢パウラがホテルに私達を迎えに来た。インディオの血が濃いのか色黒だが、美人で身長180センチ位のスタイル抜群の若い女性である。我が家の二女に面影が似てるので、初対面の気がしない。
ツアーバスにはスペイン語のガイドも乗っていて、こちらは太り気味でガラガラ声の一見怖そうな中年女性である。
普段は外国人観光客が多いが、セマナサンタ期間はアルゼンチン人が断然多いのだそうだ。したがって英語のガイド嬢は私達夫婦の専属ということ。
あっという間に町を抜けると、幹線道路の両側は一面のブドウ畑。その後方に茶色い山並み、さらにその後ろに雪を頂いた山脈が連なっている。アンデス山脈は3つの山脈からなってるのだそうだ。それにしても雄大な眺めだ。
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         4200メートルの山上へ向かうバスの中から見た景色
一時間ほどすると、バスは幹線道路をはずれ、くねくね曲がるわき道へ入って行った。渓流沿いの林の間に別荘やバンガロー、オステルが点在している。紅葉が始まっていて、赤や黄の木々の間に見え隠れする小さな家々はおとぎの国のようだ。
バスはその中の一つのオステルで止まり、3人家族を拾ってから、又幹線道路に戻る。この辺りの高度はすでに1000メートルを越す。
しばらく走ると木は消え、岩山に囲まれた赤茶けた荒野に入った。道に沿って川が流れてるが、これはアンデス山脈の雪解け水。乾燥地帯のメンドーサの重要な水源でもあるから、冬に雪が少ないと夏場に水不足になるとのこと。
川の岸はまっすぐに切り立った、高さ2メートルぐらいの壁がずっと続いている。所々にある縦の裂け目がなければ、人口の堤防かと思ってしまうが、水の浸食で出来た、全く自然の造形であった。
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                  アンデス山脈
高度2000メートルになると、道は峡谷の間を走る。川の他に、線路も道に沿って右側になったり、鉄橋を超えて左側になったりしながらずっと見え隠れしている。今は使われていないが、昔はこの線でチリから果物を運んだのだそうだ。
崖っぷちや、崖下、急流の側など、よくもこんな場所を走れたものだ。この線路を作るのだって並大抵の辛苦ではなかっただろう。アルゼンチン人のすごさを見せつけられて感服してしまった。
周囲の岩山の色は赤、緑、黄、ピンクと、変化に富んでいる。銅、鉄、鈴、石灰など含有する鉱物で色が違うのだ。アルゼンチンは鉱物の資源豊かな国でもあるのだ。石油も埋蔵量が豊富らしい。
政府の高官がワイロをもらって、外国資本に開発の権利を売り渡してしまったので、せっかく資源に恵まれながら、他国に利益を全部持って行かれてしまう、とアルゼンチン人の友人がこぼしていたのを思い出し、納得できた。
10時頃、二つ目の山脈を越えたあたりのレストランで休憩。他の人達は朝食を食べ始めたが、私達は朝食を食べてきたので、トイレだけ借りる。このトイレでブエノスアイレス在住の知人の日本人女性にぱったり出くわしてびっくり。全く世の中はせまい。
この後、バスは幹線から外れて旧道を行く。幹線の方はアンデス山脈をトンネルを通ってチリに抜けるルートで、トンネルに入る手前にアルゼンチン側の税関があり、チリから来た車の列が1キロ以上も続いていた。
旧道はトンネルが出来る前のチリとの貿易路で、4200メートルの山を越えて行く。チリのスペインからの独立戦争時、アルゼンチンの国民的英雄サンマルティン将軍がアンデス山脈を越えてチリに入り、チリの独立を手助けしたそうだ。
その時、別隊のラスヘラス将軍率いる部隊が超えたのが、このルートだそうだが、当時は道もなく、しかも夜半真っ暗闇の中を通ったと言うから、想像を絶する難業だったろう。
この道を私達のバスは上るのだが、舗装のない石ころだらけ、路肩の滑り止めもない狭い急勾配の道で、ヘヤピンカーブが至る所にある。
山側を見れば、いつ落石が起こるか、谷側を見れば、落ちたらあの谷底までまっしぐらだなあ、と生きた心地がしない。夫も同じ気分だったらしく「俺はこんなとこ二度と来ないぞ」だって。
 途中すれ違う車の乗客達がこちらに向かって手を下に向けヒラヒラさせ、こちらのバスの人たちも同じ動作をする。パウラが笑いながら「こわいぞ、こわいぞ」と言うゼスチュアだと説明してくれた。
 この道をつい最近までトラックの群れがチリまで往復していたと言うのだから、信じられない。まさに命知らずのトラック野郎どもに脱帽。
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 こんな怖い思いをすっかり吹き飛ばしてくれるほど、4200メートルの山頂からの眺めは素晴らしかった。遠くに7千メートル弱の、アメリカ大陸(北も南も含めた)最高峰のアコンカグアの真っ白い雄姿が見える。空の色がこんなに青く美しいことも初めて知った。
 パウラが「急いで歩いてはいけない。急な動作もいけない」と、くどいように言う。そうしないと、たちまち呼吸困難に陥るらしい。
30分程頂上にいたが、夫は「二日酔いの気分になってきた」と言う。私は何ともなかった。夫は車酔いしやすい体質だが、私は船でも平気。高山病は車酔いする人はなりやすいのだろうか。
 頂上にはアルゼンチンの国旗とチリの国旗が掲げられている。ここは国境なのだ。
下りは慣れたのかそれ程恐怖を感じなかった。急斜面を下り切った所に、インカの橋と言われる、天然のイオウが固まって出来た黄色い橋がある。温泉も出るそうだ。イオウで作った土産物類を売っているが、中に、男物の本物の靴にイオウをかぶせて売ってるのには笑ってしまった。こんな物買う人がいるのだろうか。
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                      イオウの橋
 道沿いの川をカヤックで下る人達がかなりいた。流れの速さによってコースがあるとのこと。ラフティング、スキー、キャンプ、ロッククライミング、それに温泉まであって、ここはアウトドア派にはたまらない魅力だろう。
 メンドーサに戻る途中、行きがけに寄ったレストランで軽い食事を取る。ツアー仲間のご夫婦とテーブルが一緒だったので話し始めたら、私達のアパートからほんの200メートル位の所に住んでおられることが分かった。
もっと早く分かれば親しくなれたのに、残念だ。ガイドが違うので私達3人は離れがちだったのだ。スペイン語ガイドのおばさんは、しゃべることしゃべること。ほとんどノンストップでしゃべり続けていたのだが、さすがに燃料切れしたのか帰りのバスの中では静かだった。おかげで良く眠れた。
 余談だが、トイレ(頂上にはない)を借りるチップ代が、山を下るにつれ安くなった。平地になると、トイレの入り口付近におじいさんが座っていて、側の看板に「トイレは無料ですが、私達はチップで生活しています」と書いてある。これではチップを上げないわけにはいかない。
夕方7時ごろホテル到着。明日のワイナリー見学にもパウラが来てくれるとのこと。二女に似ているので親しみがわき、向こうもその気持ちが伝わったのか、話が弾み、すっかり打ち解けた仲になった。
 近くのパブで簡単な食事をしてホテルに戻ると、ピアノの生演奏が始まっていた。弾き手は中年男性で、曲が終わって拍手すると、嬉しそうに「グラシアス(ありがとう)」と言った。このホテルは部屋はそれ程広くはないが、従業員が全員とても感じが良い。
ロビーの真ん中に何故かリンゴが山盛りに飾ってあって、夫がふざけてポケットに入れるまねをすると、フロントの男性が、「どうぞ、どうぞ、お好きなだけ取って下さい」と、笑顔で言う。
 部屋に戻ると、リボンで結んだ卵型のチョコレートが置いてあったので聞くと、ホテルからのプレゼントだとのこと。メンドーサと言う町はとても人情が良いようだ。ポリスに道を聞いた時も、メンドーくさがらずに、自分の手帳を破って地図を書き、懇切丁寧に教えてくれた。
 
# by ruriwada | 2007-07-13 22:44 | Comments(0)