瑠璃通信33、サルタⅤ
2008年 01月 04日
ホテルで朝食を食べていたら、窓の外をラミロとベロニカが一緒に通りながら手を振る。今朝も6時半の出発。今日はモビトラックで、ベロニカもラメロも一緒。もっともラメロの方は今日はガイドとしてではなく、ガールフレンドと一緒だ。
ラメロとベロニカが姉弟と聞いてびっくり。ベロニカは髪も眉も真っ黒、顔も浅黒いのだが、ラメロの方は白人そのもので目も薄ミドリだ。混血が進むと兄弟でもこんなに違って生まれるのか。
今日のルートは奇岩地帯を通る。様々な形の、実に美しい鮮やかな赤い岩肌の山々が次々に現れる。タイタニックあり、モンキー、カエル、岩に窓が開いているものあり。道の片側は切り立った崖どころか、岩が張り出している下を通ったりして、スリルの方も満点だ。谷底を流れる川がここでも塩の結晶で真っ白いレースのように縁取られている。所々に見えるピンクの花は桃の花。
アンデス山中の桃の花
アンデス山中がこんなに変化に富み、美しいとは想像だに出来なかった。感動で胸が震える。途中インディオの土産物屋のいる所で休憩。ラマと記念撮影しようとしたら、いきなりラマにキスされそうになり、思わずのけぞった。皆が大笑い。
しばらくしてCafayateと言うワイン卿に入った。ここのボデガ(ワイナリー)の一つに入り、マルベックともう一つの赤ワインを2種類試飲させてもらった。メンドーサに次ぐワインの産地だそうだ。
この後、Cafayateと言う町で休憩。バスの中で昼食を食べた後、町中を散策。ここも小さいがこざっぱりした町で、図書館やみやげ物店、文化センターみたいな建物もある。物乞いや子供の物売りがいないのが良い。
インディオの集落(と言っても普通の家だが)を通り抜け、キルメスの遺跡へ向かう。100年前ぐらい前に発見された遺跡で、古代人が作った跡をインディオ達が住まいにしていたらしいが、スペイン人たちが来た当時は600人ぐらい住んでいたらしい。
そのインディオ達を奴隷として使うため、スペイン人達がブエノスアイレス郊外へ連れて行こうとしたが、大半は逃げ、100人ほどを連れて行ったという。現在キルメスと言う名の市になっている所で、キルメスビールの産地である。
キルメスの遺跡
この遺跡がある場所は今は無人だが、入り口で保存費用としての入場料を取られる。
周囲は見渡す限りサボテンの原っぱ。遠くに山並みが見られる。ここは火山のカルデラ地方なのだ。そしてここはもうサルタ州ではなくツクマンだ。
帰りは同じルートだが、景色は違って見えるし、奇岩地帯は何度見ても飽きない。テアトロ(劇場)と言う名の岩場で休憩。行きがけに「テアトロ」と聞いて、何でこんな場所を、と怪訝に思っていたのだが、下りてみて納得。二つの巨大な岩が、両側からせり出して、まるで洞窟のようになっていて、円形の広い劇場のようになっているのだ。
テアトルの中
中でインディオが「コンドルは飛ぶ」の曲を笛で演奏している。この土地の人たちは教会で結婚式をあげたあと、ここで披露パーティをやるそうだ。
因みにこの山岳地帯の人達は結婚も離婚も1年に1日だけの日しか出来ないそうだ。教会はあるが、巡回判事が1年に一回しか回って来ないからだという。夫が「離婚したいが、1年待つしかない」と冗談を言ったので車内は大爆笑。
テアトロ見学の後、バスに戻ると、外にシャンペーンが用意されていた。今日のツアーはマルデ・プラタの夫婦とその18才と20才の娘さん、二日前に結婚したばかりと云う新婚カップル、30代に見えるカップル、一人旅のイタリア人、それにラミロとガールフレンド。アメリカの大学に行ってると言う、台湾人とフィリピン人の若い女性。
イタリア人はいかにもイタリア人らしく陽気で、女性に優しい。私にもしきりに声をかけてくる。
バスの中のトイレに入ろうとしたら、入り口の所で「ウン ペソ(1ペソ)」と、ふざけて手のひらを上にして差し出すので、私も「ウン ペソ」と言いながらその手を軽くたたく。
夫が「まったく、イタリア人は!カアチャンにまでちょっかい出しやがって」と、仏頂面。こちらはニタニタ。いくつになっても男性から(しかもハンサムな)ちやほやされるのは嬉しい。
マルデ・プラタのご主人は弁護士でイタリア系、父親が戦争中イタリアから逃げてきたそうで、その頃の話ばかりしている。新婚さんのご主人はジャーナリストで、仕事がら外国人に興味があるらしく、色々話しかけてきた。奥さんは小学校の先生で、とても感じの良い人だ。
ラミロの連れの女性はラミロが私に冗談で「日本の18才ぐらいの女性にボクの写真を配って」とか、「日本に連れて行って」とか言うので、半ば本気でヤキモチをやくのが可愛い。
シャンペンで乾杯。右端がイタリア人
この夜もホテルで食事をした。レングアと言う、牛の舌の料理が美味しかった。
ラメロとベロニカが姉弟と聞いてびっくり。ベロニカは髪も眉も真っ黒、顔も浅黒いのだが、ラメロの方は白人そのもので目も薄ミドリだ。混血が進むと兄弟でもこんなに違って生まれるのか。
アンデス山中の桃の花
アンデス山中がこんなに変化に富み、美しいとは想像だに出来なかった。感動で胸が震える。途中インディオの土産物屋のいる所で休憩。ラマと記念撮影しようとしたら、いきなりラマにキスされそうになり、思わずのけぞった。皆が大笑い。
この後、Cafayateと言う町で休憩。バスの中で昼食を食べた後、町中を散策。ここも小さいがこざっぱりした町で、図書館やみやげ物店、文化センターみたいな建物もある。物乞いや子供の物売りがいないのが良い。
インディオの集落(と言っても普通の家だが)を通り抜け、キルメスの遺跡へ向かう。100年前ぐらい前に発見された遺跡で、古代人が作った跡をインディオ達が住まいにしていたらしいが、スペイン人たちが来た当時は600人ぐらい住んでいたらしい。
そのインディオ達を奴隷として使うため、スペイン人達がブエノスアイレス郊外へ連れて行こうとしたが、大半は逃げ、100人ほどを連れて行ったという。現在キルメスと言う名の市になっている所で、キルメスビールの産地である。
キルメスの遺跡
この遺跡がある場所は今は無人だが、入り口で保存費用としての入場料を取られる。
周囲は見渡す限りサボテンの原っぱ。遠くに山並みが見られる。ここは火山のカルデラ地方なのだ。そしてここはもうサルタ州ではなくツクマンだ。
帰りは同じルートだが、景色は違って見えるし、奇岩地帯は何度見ても飽きない。テアトロ(劇場)と言う名の岩場で休憩。行きがけに「テアトロ」と聞いて、何でこんな場所を、と怪訝に思っていたのだが、下りてみて納得。二つの巨大な岩が、両側からせり出して、まるで洞窟のようになっていて、円形の広い劇場のようになっているのだ。
テアトルの中
中でインディオが「コンドルは飛ぶ」の曲を笛で演奏している。この土地の人たちは教会で結婚式をあげたあと、ここで披露パーティをやるそうだ。
因みにこの山岳地帯の人達は結婚も離婚も1年に1日だけの日しか出来ないそうだ。教会はあるが、巡回判事が1年に一回しか回って来ないからだという。夫が「離婚したいが、1年待つしかない」と冗談を言ったので車内は大爆笑。
テアトロ見学の後、バスに戻ると、外にシャンペーンが用意されていた。今日のツアーはマルデ・プラタの夫婦とその18才と20才の娘さん、二日前に結婚したばかりと云う新婚カップル、30代に見えるカップル、一人旅のイタリア人、それにラミロとガールフレンド。アメリカの大学に行ってると言う、台湾人とフィリピン人の若い女性。
イタリア人はいかにもイタリア人らしく陽気で、女性に優しい。私にもしきりに声をかけてくる。
バスの中のトイレに入ろうとしたら、入り口の所で「ウン ペソ(1ペソ)」と、ふざけて手のひらを上にして差し出すので、私も「ウン ペソ」と言いながらその手を軽くたたく。
夫が「まったく、イタリア人は!カアチャンにまでちょっかい出しやがって」と、仏頂面。こちらはニタニタ。いくつになっても男性から(しかもハンサムな)ちやほやされるのは嬉しい。
マルデ・プラタのご主人は弁護士でイタリア系、父親が戦争中イタリアから逃げてきたそうで、その頃の話ばかりしている。新婚さんのご主人はジャーナリストで、仕事がら外国人に興味があるらしく、色々話しかけてきた。奥さんは小学校の先生で、とても感じの良い人だ。
ラミロの連れの女性はラミロが私に冗談で「日本の18才ぐらいの女性にボクの写真を配って」とか、「日本に連れて行って」とか言うので、半ば本気でヤキモチをやくのが可愛い。
シャンペンで乾杯。右端がイタリア人
この夜もホテルで食事をした。レングアと言う、牛の舌の料理が美味しかった。
by ruriwada
| 2008-01-04 22:05
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