ハッスルおばあちゃんのアルゼンチン日記


by ruriwada
一昨年9月30日に帰国し、車を受け取って家に着いて呆然! 駐車場は人の背丈ほどの雑草が生い茂っている。道路に放置する訳にはいかないから、えいままよ、と雑草の中へバリバリ音を立てながら車を乗り入れた。
3月の一時帰国中に大地震に遭い、何もかもほったらかしにしてアルゼンチンに逃げて行ったままの家の中はメチャメチャ。
翌日からはしゃかりきで家中の片付けとゴミ出し。ガラスや陶器の破片は片付けても片付けても、思わぬ所から出て来る。1ヶ月半かけて家の中がどうやら片付いたので、12月の中旬には夫と二人で台北、花蓮、高尾を巡る台湾1周5日間の旅行をした。
太魯閣峡谷の茶店でハチミツ入りハーブティを飲んだのは良いが、口がいやしい夫は出されたハチミツを1瓶全部飲み干した。しばらくして、峡谷の絶景に見とれていると突然背後で夫の悲鳴が聞こえた。びっくりして振り向くと夫の鼻に蜂が1匹停まり、他にも数匹の蜂が夫の顔の周りを飛び回っているではないか。
夫は「たたくと刺される」と鼻の上の蜂を見ながら顔をゆがめて半べそ。ガイドさんはゲラゲラ笑いながら「この顔の写真を撮ったら」
さすが妻としては、夫が鼻を刺されたら可哀そうなのでカメラを向ける気にはなれなかった。私が手で静かに何度か振り払うと蜂はやっと離れたが、その後数分間も夫の後をついて回っていた。ハチミツが口の周りについていて、鼻を花と勘違いしたのだろう。
写真を撮っておけば良かったなー!

正月には三浦半島と房総半島を巡る2日間のドライブ旅行をした。土浦桜インタから常磐高速で柏まで行き、柏から一般道の16号をまっすぐ木更津まで行き、ここからアクアラインを走り、海ボタルで朝食。前から一度は走って見たいと思っていたアクアラインを走れて嬉しかった。海ホタルも早朝だったせいか閑散としていて、海も穏やかで360度のパノラマを満喫できた。その後三浦半島に渡り、三崎漁業組合直営レストランで、名物のマグロを堪能してから、城ケ島へ。
突端にある城ケ島京急ホテルからは海越しに富士山が大きく見える。まさに絶景。翌朝チェックアウトすると、マネージャーが「インターネットでお申し込みのお客さんへのサービスです」と、冷凍したマグロのカマ4本を下さったので大感激。
横須賀のペリー上陸記念館を見てから、九里浜からフェリーで房総半島の金谷に渡る。保田漁港直営の「ばんや」で新鮮な魚介類を堪能。ばんやは数年前に来た時より広くなっていて、相変わらず大盛況のようだ。ばんやから500メートル程の所にある菱川師宣記念館で美人画を見てから、九十九里をドライブ。埴輪街道をひた走り、成田空港を抜けてつくばの自宅へ戻る。

3月にはアルゼンチンの茨城県人会50周年式典が水戸庁舎で行われ、私達夫婦も招待されて出席。我が家へもウンベルト、リカルド兄弟が訪ねて来て下さり、つくば市の料亭「花まさ」で懐石料理をご馳走した。
アルゼンチンで交換授業をしていた、我が代理息子のマキシもやって来た。我が家に1泊した後は東京の格安ホテルに1カ月泊って、日本を満喫して帰ったようだ。同じ時期に鹿児島大学で准教授をしている我が家の息子が、7人の学生を連れてやって来て、数日泊って行ったので、3月はてんてこ舞いだった。

7月3日から8月3日まではアメリカへ。夫と二人、シアトルで数日孫達と遊んだ後7日にニューヨークへ。7月7日朝7時に二女が二人目を出産。9日から1泊でマサチューセッツ州ロングメド―に住む知人宅へ。コネチカット州とニューハンプシャーに住む知人達も駆けつけてくれて楽しい再会を果たす。

8月下旬は鬼怒川温泉へドライブ旅行。「あさや」と言う、関東一バイキングが美味しいと評判のホテルで、評判通り美味しい料理を堪能し、屋上露天風呂からの素晴らしい眺望に大満足。
9月はタンゴクラスの合宿で国民宿舎九十九里ホテルへ。サザエの壺焼きがお代わり自由で、生まれて初めてサザエをたらふく食べてご満悦。
私は帰国後つくば市で又、アルゼンチンタンゴを習い始めた。マリポサと言う会で、我孫子を拠点とし、踊りの他にも色々活動している。つくば市でも教室があるので入会したのだ。

10月下旬は九州一周バス旅行の旅。飛行機で大分まで行き、大分、福岡、宮崎、佐賀、熊本、長崎をバスで駆け巡る4泊5日の旅で、全食事つきで一人6万円の格安旅行だったが、内容は充実していた。

11月にはタンゴクラスの発表会。付けまつげをつけ、歌舞伎役者みたいなメークをされて踊ったが、ベテランのはずのパートナーがステップを間違えて散々な目に。大恥かいたが、お化けメークのお陰で、誰にも私だとは見破られなかったのが幸いだった。

さて本年2013年は・・
1月16日より8日間、イタリア一周旅行に行ってきます。
# by ruriwada | 2013-01-10 09:36 | Comments(0)
9月26日
セントロ日系で最後のスペイン語クラスとタンゴクラス。セントロ日系の責任者のリカルドが記念のお皿をプレゼントしてくれた。タンゴクラス終了後は皆で記念撮影。ラストダンスは前回と同じく、「ラ・クンパルシータ」
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                   日本語とスペイン語の交換授業をしていたマキシとラストダンス
このクンパルシータは歌詞はアルゼンチン人だが、曲はウルグアイ人で、両国とも自分の国のタンゴだと主張している。ブエノスアイレスとラプラタ川を挟んだ対岸の国ウルグアイはアルゼンチンの一州になりそうな時期があったが、国民投票で独立国になったと聞く。
二国間の関係は良好で行き来も実に簡単。ウルグアイ人の多くはブエノスアイレスで働いていて、週末に帰国する。
因みに日本から観光ビザで来て長期滞在している人達は、3カ月毎に朝ウルグアイ行きの船に乗り、夕方の船で帰って来る、と言う事を繰り返している。私の知人にも何人かいる。
ウルグアイの大統領は清廉潔白、安アパート住まいだそうだ。
ウルグアイの有名観光地コロニアの町は犯罪も少なく、町の人達はとても親切で暖かい。
二言目には「アルゼンチンとは違う」と、胸を張って言うので可笑しかった。

4年間のアルゼンチン生活最後の夜は、一緒に来て一緒に帰る16人全員が参加して、行きつけの中国料理店「COCO」でお別れ会。
パーティのセッティングを頼まれた夫が全員に料金、料理の種類などについて事前アンケートを取ったところ、100ペソ、150ペソ、200ペソ、フランス料理、日本料理、中国料理と、皆の希望はまさにバラバラ。
ふところ具合、食の好みは人それぞれだと痛感した。一番数の多かったのが、1人100ペソの中華料理。
と言う訳で、ブエノスアイレスで私の知る限り一番安くて味もまあまあの「COCO」に決まった次第である。スイパチャ通りの、サンマルティン広場から数分の場所にある、こじんまりした中国料理店で、中国名は御花園飯店。デリバリーも行っている、と言うよりデリバリーの方が主のようだ。

9月27日
とうとう帰国の日が来た。今回も2年間の滞在で、計丸4年間をブエノスアイレスで過ごした。私にとってはまさに第2の故郷。去るのがつらい。出発1時間前に大家の奥さんと、不動産屋で我が家のお助けマンだったオスカルが来て、アパートの引き渡し書類にサイン、カギを返す。
さらば我がアパート。日本だったら億ションと呼ばれるような広い(と言ってもアルゼンチンでは普通だが)アパート暮らしは、もはや二度と縁がないだろうなあ・・・
ニュージャパントラベルのオラショが帰国者全員のアパートを巡って(地方滞在者はホテル)拾い、空港まで送ってくれる。ニュージャパンさんにも本当にお世話になった。
帰国の便はアメリカのダラス経由だが、コンチネンタル航空は、アメリカでの通関手続きの時に、預けた荷物は出さなくてすむから楽だ。
機は珍しく定時に出発。29日午後2時半、無事成田に着いた。

アディオス・アルヘンティーナ(アルゼンチンよ、さようなら)!
# by ruriwada | 2011-12-03 06:01 | Comments(2)
9月25日
土産と最小限の衣類や思い出の品だけ残して、後は全部処分する事にして、友人達に引き取りに来てもらう事にした。最初にタンゴクラスのkさん夫婦と先生。そこへ我が家のお助けマンことオスカル夫婦が来訪。
最後に現れた日系のIさんは「捨てたらもったいない。何でもいただきます」と、残り物を全部抱えてタクシーで帰って行かれた。“もったいない”精神は遠いアルゼンチンで立派に受け継がれていた!
面白かったのはゴミ収集人。ゴミは業務用エレベーター前に出して置くと1日に1回収集に来る。週末などには2,3日来ない事もあった。ところが、不用の靴や服などを数回に分けて出したところ、何故か出したとたん、あっという間に消えてしまう。
どうやら引っ越しがあるとすぐ情報が伝わるらしい。もちろん、再利用したり売ったりするためだ。これぞまさしくリサイクル。
夫はアルゼンチンで自然環境保護教育の一環としてリサイクルを教えて来たのだが、
「アルゼンチンじゃ立派にリサイクルしてる。日本の方が学ばねばならないくらいだ」と、夫と二人で大笑いしてしまった。
皆が引き上げてスーツケースだけになった時、急に夫が「レコレタのフェリアで買いたい物がある」と言い出した。何を買うのかと思っていたら、メタル製の大きな操り人形!
トホホホ。荷物はすっかり詰め終わった後じゃっちゅうのに、全くもう!
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                        左橋の甲冑の騎士を買った。
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                        日本の物を売っているおばさん  
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          早春のブエノスアイレスは少し暖かいと、すぐ裸になる。入れ墨は普通の人達がやっている。
1個23キロの大きなトランク4個分を全部出して、詰め直しては計り、又やり直しては計る。腰が抜けそうになった。
張本人の夫は「俺は入れ方が分からん」と、そばで悠々とワインを飲んでいる。睨むと、
「ワインを残したらもったいないから、仕方なく飲んでるんだ」だと!
夜はボランティア仲間のHさん、Nさんと4人でお気に入りのサンホアニーノで食事。顔見知りのボーイさんが大げさに喜びながら迎えてくれた。
「明後日、日本に帰る」と言うと「もう戻って来ないの?」と残念がって、記念に写真を一緒に撮ってくれと言う。彼は本業は結婚式などの写真を撮る写真家だそうだ。
ここのエンパナダは美味しいとブエノスアイレスで評判だ。ランチ時などには行列が出来ている。料理も美味しくて安くて、その上、店の雰囲気も良い。レコレタ地区いちおしの店である。
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         店のおごりのカクテルで乾杯
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                            右端はサン・ホアニーノのボーイさん。
# by ruriwada | 2011-11-24 17:14 | Comments(0)
9月22日
タンゴクラスのkさんとレコレタ墓地そばのピザ店でランチ。本当は4年前に行った事のあるクレープ専門店に行きたかったのだが、いくら探しても見つからない。どうやらつぶれてしまったようだ。
ランチはkさんがおごってくれた。その後アルべアルホテルでコーヒーを飲む。アルベアルホテルはブエノスアイレス最高級ホテルの一つで、VIPが良く泊る事で有名だ。我がアパート隣の通りに面しているのだが、VIPお泊りの時は通行禁止になり警官がうようよいるのですぐ分かる。
しかし日本とは大違い。ピリピリした感じは全くない。警官達はあっちで2人、こっちで3人とおしゃべりに夢中。中南米の国々ではよくワイロ等の話があり警官の評判が悪いが、ここアルゼンチンで4年間過ごして、私の警官の印象はすこぶる良い。
外国人だからかも知れないが、いつもとても親切にしてもらった。メンドーサでは道を訊ねた時、「そこは歩くには遠すぎる。バスで行った方が良い」と、バス停を教えてくれた後、小銭を探している私に「ほら。これを使いなさい」と、ポケットからコインを出してくれた事さえある。
9月23日
私にとっては最後のセイボ会。今回はサンテルモの骨とう品店街散策だ。サンテルモは植民地時代の低層の古い建物がかしこに残る石畳の小道に、骨とう品店が軒を並べている。郷愁をそそるとても趣のある地区なので帰国前にぜひもう一度行って見たかったから、何を置いても参加した。
プラサ・ドレゴ・カフェに集合。有名なカフェ・トリトーンと同時期の古いカフェで、デフェンサ通りとウンベルト通りの角にある。ここでコーヒーを飲んだ後、数組に分かれて骨とう品店街を散策。
私は日系2世でサンテルモに詳しいAさんと一緒だったので、色々面白い店を見る事が出来た。外からは全く分からないが、内部にパティオのある骨とう品店街に入る。ここは元ブエノス1の金持ちの屋敷だった建物だそうだ。
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                古い石畳のサンテルモの通り。左端はバスを待つ人々
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            元豪邸のパティオの中は骨とう品店街になっている
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              集合場所の由緒ある喫茶店
サンテルモの見学後は5月広場近く、ペルー通りの「マンサナ・デ・ラス・ルセス(光明の家)」に入る 
マンサナはリンゴの意味だが、アルゼンチンでは1区画(大体100m×100m )の事、ルスは明かり、光りだ。ここはブエノスアイレスで最も古いサン・イグナシオ教会とブエノスアイレス最初の学校(ブエノスアイレス大学の前身)があり、当時の学問の中心だった所だ。
前回訪れた時には修復中だったが、現在は中でコンサートなども行われてるようだ。地下にはトンネルがある。残念ながらトンネルは封鎖されているが、トンネル入り口までは下りて行ける。
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                    光明の家の地下道
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               光明の家に併設されているレストランはまるで中世の雰囲気そのまま
9月24日
日本語を教えてきたグループが先日アサドのお別れ会をやって下さったのに、またまたメンバーの一人、サラの家でお別れのお茶会をして下さると言う。アメリアが迎えに来てくれて、93番のバスでウルキサまで出かける。
ウルキサも日系入植者が多く住む町で、豪邸が立ち並ぶ閑静な住宅地だ。サラの家も庭付きの瀟洒な2階建てのモダンな家。お茶と言う事だったが、手作りのケーキやエンパナダが盛り沢山。会は2時から始まったが、一向にお開きになる様子がない。
6時頃になって、8時頃に終わると聞き、夫に電話すると「いったい、どこまで行ったんだ!もう帰って来なくていい」と、カミナリが落ちた。
私が首をすくめて「もう帰って来なくて良いだって」と、冗談めかして言うと、皆が顔を合わせて「怒ってるの?」と、何やらごちゃごちゃ。
「さあ、すぐ支度して。サラのご主人が送って行くから」「え?バスで帰れるから大丈夫よ」
と言ったのだが、ご主人が車のカギを持って現れて「どうぞ」
バスでは1時間かかったが、クルマでは30分程で家に着き、仏頂面をしていた夫もすぐに機嫌を直した。まったく、うちの駄々っ子亭主にも困ったものだ。
# by ruriwada | 2011-11-21 14:01 | Comments(0)
9月18日
サンマルティン市に住むK夫妻をランチに招待。本当はK家でアサドのお別れ会をやって下さるとの事だったのだが、最近奥さんの体の具合が悪いので、我が家にご招待する事にしたのだ。
K氏は熊本、奥さんは長崎県五島出身の1世で共に70代。奥さんの姪が茨城県の土浦に住んでいて、私達夫婦のスペイン語の先生だったので、アルゼンチンに来る前からの知り合いだ。
先日、長崎県主催の原爆展がブエノスであり、私も会場に飾る千羽鶴を折るお手伝いをした。ニッカイ会館で行われたのだが、借りて来たプロジェクターが盗まれてしまったそうだ。入場者はまばらでしかも絶えず人の目があったのに!
アルゼンチンの泥棒の早業はまさに神業だ。奥さんは責任を感じて持病の心臓病が悪化してしまったらしい。
9月19日
タンゴクラスとスペイン語の勉強。来週のクラスは帰国前日だが出席するつもりだ。とうとうどちらも一向に上達せずに終わってしまった。あ~あ、情けない。
9月20日
今日はマキシとの交換授業の最終日。代理息子ともお別れだ・・寂しいなー
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私のアパートのポルテーロ(管理人)さん達。右が総責任者のエドワルド。信頼出来る人でとてもお世話になった。左はクリスチャン。彼はいつも私の事を気にかけてくれていて、男の来訪者があると、必ず知人かどうか、心配ないかと確認の電話をくれた。お別れを言った時は涙ぐんでいた。
9月21日
タンゴクラスのお別れ会。全員が集まれるのは今日の昼だけだったので、ランチになった。
場所はフロリダ通りとコルドバ通りの角のピザ店「 エル・プエルト・デ・カルメン」
前回の滞在中にタンゴクラスで一緒だったBさんが、またアルゼンチンを訪問中で特別参加。その他、私の後にマキシと交換授業をする事になった日本人青年O君とそのママが急遽参加。
他にも、アルゼンチン人青年で折紙教師のカルロスも飛び入り参加して大にぎわいになった。食事の合間に紙ナプキンでバラの花を折って女性陣にプレゼントしてくれた。繊細で優しさの塊みたいな青年だ。カルロスは「フロシキ普及運動」の主メンバーでもある。
美味しいピザをたらふく食べた後は大急ぎでバスに乗って帰宅し、Iさんとの最後の日本語クラス。
Iさんは4年間、私の都合でお休みした日以外は毎週欠かさず来られ、ずいぶん日本語が上達された。
Iさんにエスコバル在の日系1世のT夫人を紹介し、後を引き受けてもらえる事になったので一安心。
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7月9日大通りの中央分離帯の並木のパロボラチョはまるで白い花が真っ盛りに見えるが、実の中の綿だ。
# by ruriwada | 2011-11-10 12:16 | Comments(0)