ハッスルおばあちゃんのアルゼンチン日記


by ruriwada

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9月25日
土産と最小限の衣類や思い出の品だけ残して、後は全部処分する事にして、友人達に引き取りに来てもらう事にした。最初にタンゴクラスのkさん夫婦と先生。そこへ我が家のお助けマンことオスカル夫婦が来訪。
最後に現れた日系のIさんは「捨てたらもったいない。何でもいただきます」と、残り物を全部抱えてタクシーで帰って行かれた。“もったいない”精神は遠いアルゼンチンで立派に受け継がれていた!
面白かったのはゴミ収集人。ゴミは業務用エレベーター前に出して置くと1日に1回収集に来る。週末などには2,3日来ない事もあった。ところが、不用の靴や服などを数回に分けて出したところ、何故か出したとたん、あっという間に消えてしまう。
どうやら引っ越しがあるとすぐ情報が伝わるらしい。もちろん、再利用したり売ったりするためだ。これぞまさしくリサイクル。
夫はアルゼンチンで自然環境保護教育の一環としてリサイクルを教えて来たのだが、
「アルゼンチンじゃ立派にリサイクルしてる。日本の方が学ばねばならないくらいだ」と、夫と二人で大笑いしてしまった。
皆が引き上げてスーツケースだけになった時、急に夫が「レコレタのフェリアで買いたい物がある」と言い出した。何を買うのかと思っていたら、メタル製の大きな操り人形!
トホホホ。荷物はすっかり詰め終わった後じゃっちゅうのに、全くもう!
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                        左橋の甲冑の騎士を買った。
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                        日本の物を売っているおばさん  
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          早春のブエノスアイレスは少し暖かいと、すぐ裸になる。入れ墨は普通の人達がやっている。
1個23キロの大きなトランク4個分を全部出して、詰め直しては計り、又やり直しては計る。腰が抜けそうになった。
張本人の夫は「俺は入れ方が分からん」と、そばで悠々とワインを飲んでいる。睨むと、
「ワインを残したらもったいないから、仕方なく飲んでるんだ」だと!
夜はボランティア仲間のHさん、Nさんと4人でお気に入りのサンホアニーノで食事。顔見知りのボーイさんが大げさに喜びながら迎えてくれた。
「明後日、日本に帰る」と言うと「もう戻って来ないの?」と残念がって、記念に写真を一緒に撮ってくれと言う。彼は本業は結婚式などの写真を撮る写真家だそうだ。
ここのエンパナダは美味しいとブエノスアイレスで評判だ。ランチ時などには行列が出来ている。料理も美味しくて安くて、その上、店の雰囲気も良い。レコレタ地区いちおしの店である。
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         店のおごりのカクテルで乾杯
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                            右端はサン・ホアニーノのボーイさん。
by ruriwada | 2011-11-24 17:14 | Comments(0)
9月22日
タンゴクラスのkさんとレコレタ墓地そばのピザ店でランチ。本当は4年前に行った事のあるクレープ専門店に行きたかったのだが、いくら探しても見つからない。どうやらつぶれてしまったようだ。
ランチはkさんがおごってくれた。その後アルべアルホテルでコーヒーを飲む。アルベアルホテルはブエノスアイレス最高級ホテルの一つで、VIPが良く泊る事で有名だ。我がアパート隣の通りに面しているのだが、VIPお泊りの時は通行禁止になり警官がうようよいるのですぐ分かる。
しかし日本とは大違い。ピリピリした感じは全くない。警官達はあっちで2人、こっちで3人とおしゃべりに夢中。中南米の国々ではよくワイロ等の話があり警官の評判が悪いが、ここアルゼンチンで4年間過ごして、私の警官の印象はすこぶる良い。
外国人だからかも知れないが、いつもとても親切にしてもらった。メンドーサでは道を訊ねた時、「そこは歩くには遠すぎる。バスで行った方が良い」と、バス停を教えてくれた後、小銭を探している私に「ほら。これを使いなさい」と、ポケットからコインを出してくれた事さえある。
9月23日
私にとっては最後のセイボ会。今回はサンテルモの骨とう品店街散策だ。サンテルモは植民地時代の低層の古い建物がかしこに残る石畳の小道に、骨とう品店が軒を並べている。郷愁をそそるとても趣のある地区なので帰国前にぜひもう一度行って見たかったから、何を置いても参加した。
プラサ・ドレゴ・カフェに集合。有名なカフェ・トリトーンと同時期の古いカフェで、デフェンサ通りとウンベルト通りの角にある。ここでコーヒーを飲んだ後、数組に分かれて骨とう品店街を散策。
私は日系2世でサンテルモに詳しいAさんと一緒だったので、色々面白い店を見る事が出来た。外からは全く分からないが、内部にパティオのある骨とう品店街に入る。ここは元ブエノス1の金持ちの屋敷だった建物だそうだ。
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                古い石畳のサンテルモの通り。左端はバスを待つ人々
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            元豪邸のパティオの中は骨とう品店街になっている
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              集合場所の由緒ある喫茶店
サンテルモの見学後は5月広場近く、ペルー通りの「マンサナ・デ・ラス・ルセス(光明の家)」に入る 
マンサナはリンゴの意味だが、アルゼンチンでは1区画(大体100m×100m )の事、ルスは明かり、光りだ。ここはブエノスアイレスで最も古いサン・イグナシオ教会とブエノスアイレス最初の学校(ブエノスアイレス大学の前身)があり、当時の学問の中心だった所だ。
前回訪れた時には修復中だったが、現在は中でコンサートなども行われてるようだ。地下にはトンネルがある。残念ながらトンネルは封鎖されているが、トンネル入り口までは下りて行ける。
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                    光明の家の地下道
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               光明の家に併設されているレストランはまるで中世の雰囲気そのまま
9月24日
日本語を教えてきたグループが先日アサドのお別れ会をやって下さったのに、またまたメンバーの一人、サラの家でお別れのお茶会をして下さると言う。アメリアが迎えに来てくれて、93番のバスでウルキサまで出かける。
ウルキサも日系入植者が多く住む町で、豪邸が立ち並ぶ閑静な住宅地だ。サラの家も庭付きの瀟洒な2階建てのモダンな家。お茶と言う事だったが、手作りのケーキやエンパナダが盛り沢山。会は2時から始まったが、一向にお開きになる様子がない。
6時頃になって、8時頃に終わると聞き、夫に電話すると「いったい、どこまで行ったんだ!もう帰って来なくていい」と、カミナリが落ちた。
私が首をすくめて「もう帰って来なくて良いだって」と、冗談めかして言うと、皆が顔を合わせて「怒ってるの?」と、何やらごちゃごちゃ。
「さあ、すぐ支度して。サラのご主人が送って行くから」「え?バスで帰れるから大丈夫よ」
と言ったのだが、ご主人が車のカギを持って現れて「どうぞ」
バスでは1時間かかったが、クルマでは30分程で家に着き、仏頂面をしていた夫もすぐに機嫌を直した。まったく、うちの駄々っ子亭主にも困ったものだ。
by ruriwada | 2011-11-21 14:01 | Comments(0)
9月18日
サンマルティン市に住むK夫妻をランチに招待。本当はK家でアサドのお別れ会をやって下さるとの事だったのだが、最近奥さんの体の具合が悪いので、我が家にご招待する事にしたのだ。
K氏は熊本、奥さんは長崎県五島出身の1世で共に70代。奥さんの姪が茨城県の土浦に住んでいて、私達夫婦のスペイン語の先生だったので、アルゼンチンに来る前からの知り合いだ。
先日、長崎県主催の原爆展がブエノスであり、私も会場に飾る千羽鶴を折るお手伝いをした。ニッカイ会館で行われたのだが、借りて来たプロジェクターが盗まれてしまったそうだ。入場者はまばらでしかも絶えず人の目があったのに!
アルゼンチンの泥棒の早業はまさに神業だ。奥さんは責任を感じて持病の心臓病が悪化してしまったらしい。
9月19日
タンゴクラスとスペイン語の勉強。来週のクラスは帰国前日だが出席するつもりだ。とうとうどちらも一向に上達せずに終わってしまった。あ~あ、情けない。
9月20日
今日はマキシとの交換授業の最終日。代理息子ともお別れだ・・寂しいなー
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私のアパートのポルテーロ(管理人)さん達。右が総責任者のエドワルド。信頼出来る人でとてもお世話になった。左はクリスチャン。彼はいつも私の事を気にかけてくれていて、男の来訪者があると、必ず知人かどうか、心配ないかと確認の電話をくれた。お別れを言った時は涙ぐんでいた。
9月21日
タンゴクラスのお別れ会。全員が集まれるのは今日の昼だけだったので、ランチになった。
場所はフロリダ通りとコルドバ通りの角のピザ店「 エル・プエルト・デ・カルメン」
前回の滞在中にタンゴクラスで一緒だったBさんが、またアルゼンチンを訪問中で特別参加。その他、私の後にマキシと交換授業をする事になった日本人青年O君とそのママが急遽参加。
他にも、アルゼンチン人青年で折紙教師のカルロスも飛び入り参加して大にぎわいになった。食事の合間に紙ナプキンでバラの花を折って女性陣にプレゼントしてくれた。繊細で優しさの塊みたいな青年だ。カルロスは「フロシキ普及運動」の主メンバーでもある。
美味しいピザをたらふく食べた後は大急ぎでバスに乗って帰宅し、Iさんとの最後の日本語クラス。
Iさんは4年間、私の都合でお休みした日以外は毎週欠かさず来られ、ずいぶん日本語が上達された。
Iさんにエスコバル在の日系1世のT夫人を紹介し、後を引き受けてもらえる事になったので一安心。
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7月9日大通りの中央分離帯の並木のパロボラチョはまるで白い花が真っ盛りに見えるが、実の中の綿だ。
by ruriwada | 2011-11-10 12:16 | Comments(0)
9月17日
夫の上司のアナさん宅でお別れパーティをしてくれると言うので、レティロの駅からティグレ行きの列車に乗り、オリボス駅で下車。
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                                  オリボス駅
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                                列車の座席はボロボロ
オリボスは大統領官邸がある所だ。官邸と線路を挟んだ反対側は海岸側でリベルタドール通りに沿って大統領警備本部の塀がずっと続いている。
このリベルタドール通りは我がアパートの前を走っている通りの延長なのだが、途中、並行して走っているサンタフェ通りがマイプ通りに変わるあたりでいったん番号が終わり、1番から始まる。
オリボス駅裏から数ブロックのリベルタドール道路沿いは高級外車の店が軒を並べ、中でも日本車の店が多く、歩道には日本製の車やオートバイがずらりと並べられている。カワサキ、ホンダ、ヤマハ、トヨタ・・まるで日本にいるようだ。
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        上からトヨタ、ヤマハ、ホンダ リベルタドール沿いは日本車の会社がいっぱい
アナさんの家はオリボス駅とビセンテロペス駅の間で交差するイタリア通りにあるのだが・・イタリア通りがない!数人に聞いても皆知らないと言う。そう言えばアナさんはとても短い行きどまりの道だと言っていた。
店の人なら知ってるだろうと車販売店で聞いてみると、道の反対側にあった。何と道の両側で地番が違っているのだ。道の両サイドは偶数と奇数に分かれてるのは普通だが、ここでは片側が1000番、その真向かいが900番といった具合なのだから、道に迷って当たり前だ。
アナさん一家は1年前には同じオリボスの一戸建てに住んでいたのだが、泥棒に入られてからここへ越して来た。3階建てマンションの屋上全部がアナさんの家だ。パーティは地階のパーティー室。アルゼンチンのアパートの高級アパートには皆共用のパーティ室があり、個人のパーティにも利用できる。
参加者は約50名。アナさん一家は全員日本食が大好きなので、この日も寿司が沢山用意されていた。寿司をたらふく食べ、美味しいワインをがぶ飲みし、ほとんど顔見知りだったので会話も弾み、実に楽しいパーティだった。
帰りは日系企業のN夫妻と列車で帰る。N夫人とはパレルモレディースでもよくお会いする。彼女は列車に乗るのが今日が初めてだそうだ。
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                            アナさんのアパートでのお別れパーティ                         
by ruriwada | 2011-11-03 17:44 | Comments(0)