ハッスルおばあちゃんのアルゼンチン日記


by ruriwada

<   2011年 04月 ( 8 )   > この月の画像一覧

4月23日
今日は土曜日。いつもなら中華街へ買い物に行くのだが、月曜から夫がサンルイス州へ8日間の出張だから、買出しに行く必要がない。そこで代わりにアバストデパートへCDを買いに行く事にした。
アルゼンチンの有名歌手の歌を集め、「GANNBARE」とタイトルをつけて、ソニーから日本支援のCDを売り出しているのだ。
f0135018_80401.jpg

                  日本支援のCD
ブエノスアイレス市内にはいくつかのショッピングモールがある。リベルタドールとポサダの間のブルリッチ、サンタフェ通りとブルネス角のアルトパレルモ、フロリダ通りのガレリアパシフィコ。どれも近代的なショッピングモールだ。
アバストはモールと言うより日本のデパートに近く、100メートル四方の全区画を占める、市内最大の規模で、階上には遊園地もある。場所は地下鉄B線のカルロス・ガルデロのそばだ。
ここのフードコートで中華料理を食べたあと、フードコート内を一周するとアラビア料理店があり、シシカバブが4本グルグル回って火に炙られている。豚肉、牛肉、鶏、子羊・・え?豚?イスラム教では豚は食べないはずでは?
イスラム教徒が見たらびっくり仰天するかもね。
f0135018_7455556.jpg

               アバストの外観(カマボコ型の屋根)
f0135018_7465660.jpg
f0135018_7475382.jpg

                     アバスト内部           
f0135018_7491524.jpg

              シシカバブ。左から豚肉、牛肉、鶏肉、ラム
4月24日
すっかり風邪を引いてしまった。先日のミロンガでの夜遊びがたたったらしい。ミロンガと言えば、私は2時ごろ帰宅、残りの日本人メンバーも2時には店を出たそうだが、アルゼンチン人の青年はその後、別のミロンガへハシゴしたらしい。全くタフだ。
今日はスペイン語はお休み。先生が語学の先生達の指導に出かけてしまったのだ。彼女はブラジルへも時々教えに行く。アルゼンチンの資格で他のメルコスル加入国で相互に教える事が出来るのだそうだ。
タンゴは男性3人女性3人だったので、ずっと踊り続けで、風邪気味の体には応えた。あー、年は取りたくないねえ。
夫は夜9時レティロ発の夜行バスでサンルイス州のメルローへ8日間の出張。せっかく鬼のいぬ間のせんたくなのに、寝てるしかないなんてー
4月25日
今日は一日中7月9日通りでストをやっている。テレビでは外見はインディオの人達が、土地を返せとか言ってるようだ。やっと60番のバスのストが終わったと思ったのに。この国でストをやらない日なんてあるのかなあ。
by ruriwada | 2011-04-27 07:54 | Comments(0)
4月18日
今月はパレルモ昼食会。パレルモハリウッドと呼ばれている地区にある、パタゴニア料理を出すボデガレストラン「EXPERIENCIA DEL FIN DEL MUNDO」
世界の終わりの体験、と言う意味だ。
パタゴニア地方のウスアイアは世界最南端の町で、「El Fin Del Mundo」と言われているのだ。海辺の町で海の向こうは南極だ。
ボデガ(ワイナリー)だけあってワインが美味しい。3種類のワインを飲む。私はパタゴニア産の海老料理、モッツアレラチーズの野菜サラダ、フラン(プリン)とカフェドブレ。
おしゃれな雰囲気の店で味もいい。パレルモ地区にはバル(昼はカフェ、夜は酒を出す)が多く、またシャレたレストランや新進デザイナーのモダンな店が沢山ある。日本で言えば六本木かいわいって感じかな。
f0135018_055138.jpg
f0135018_0553193.jpg

                    上はパタゴニアボデガ下はパタゴニア産海老料理
今日はこの後、タンゴクラスとスペイン語クラスがあるのだが、ここからセントロ日系までの直通バスはないので、タンゴは休み、スペイン語だけ出ることにした。プラサイタリアでバスを下り、128番のバスに乗りかえる。このバスは前回ブエノスアイレスに滞在していた時、セントロ日系に行くのにいつも利用していたので懐かしい。

夜中の11時頃、あまりにも外がうるさいので見たら、れいの、百台以上の自転車のパレードだ。何もこんな真夜中にまでやらなくてもよさそうなのに。全く迷惑な連中だ。だいいち街灯が点いてるとは言え、頭にきてクラクションを鳴らし続ける車群に追い立てられて夜道を走るのは危険この上ないよ。
最近路上で片足や足首のない若い男性の物乞いをちょくちょく見かけるが、服装や雰囲気から、どうもなり立てのようだ。交通事故で障害を負い失業したんじゃないかなあ。何しろ健常者で、しかも大學を出ても職のない若者がいっぱいいるのだ。
4月19日
スカイプで我が友人ウワバミからコンタクトが来た。ウワバミはアルゼンチンのネオケン州に1年間いたのだが、3月末に任期を終えて帰国したまま連絡がなかったので心配していたのだ。彼女はこの10年間、発展途上国を渡り歩いていたので日本には住む家がない。文字通りホームレスなのだが、札幌にマンスリーアパートを借りて、一時定住したと言うのでほっとした。
4月20日
朝テレビで、今日もパンアメリカンと言う幹線道路が、ストで片車線ブロックされていると言っている。今日で3日目だが、60番のバスの運転手達がやってるのだ。運転手の息子が車に轢かれてうんぬん言ってるがその先は分からない。そんな個人的理由でみんなに迷惑をかけるなっての!
当然大渋滞で、夫の仕事の通訳をしてくれるはずのkさんが来られなくなって、夫は大汗かきながらスペイン語で話をしたらしい。もっとも、相手に通じたかどうかは不明。
因みに、この60番のバスはブエノスで一番古くて路線も一番多く、ストの回数も一番多いのだそうだ。
2時半、Iさんがイースターケーキとか言うのを持って来て下さった。お盆ぐらいの大きさのケーキで、何と中にゆで卵が殻つきで入っていたのにはびっくり。Rosca de Pascua と言う名前だそうだ。
Pascuaはイースターの意味。明日からSEMANA SANTA(聖週間)なのだ。因みにイースター島はスペイン語ではIsla de Pascuaだ。
f0135018_058571.jpg

f0135018_058391.jpg

                イースターケーキ。ケーキの中に剥いてないゆで卵が入っている
ところで、タンゴクラスのメンバーの一人が今月末にメキシコに転勤なので、今日はお別れ会。9時から食事、その後ミロンガへ皆で行く予定だ。ミロンガにはまだ行ったことがなく、今回が初体験。始まるのが夜の11時で終わるのは3時だそうだから、ちとつらい。
食事はセントロの、バスク料理の「Adolfo Alsina」
メニューはイカリングフライ、パエジャ、キノコのオムレツ、ワインで、全員でシェア。
れいの日本キチの青年が「魚は食べられない」と言い出し、「魚が嫌いじゃ、日本に行けないよ」と皆からお説教され、シュンとなってしまった。可哀相なので彼にはビフテキを取る。
夕食後、歩いて2ブロック先のミロンガ店が入っている「La Nacional」へ行く。ビルは一見大學の様な感じで、中に入ると色々な部屋があり、3階がミロンガ会場。入り口にテーブルが置いてあり、ここで入場料一人25ペソ払う。廊下にタンゴ用のドレスが20着ほど衣文かけにかけてある。レンタルもしてるのだろう。
f0135018_105429.jpg

                             ミロンガの入っているビル
中は講堂の様で、両側にずらり椅子やテーブルが並べてあり、真ん中が大きなスペースになっている。座ると早速ウェイトレスが飲み物を注文取りに来た。何も飲みたくなかったが、最低8ペソ分は飲まねばならないそうで、水を頼む。ペットボトル小が8ペソとは恐れ入った。
客の大半は熟年だ。5月広場近くの場所柄、若者はあまり来ないらしい。最初にくじ引きがあり、商品はタンゴドレス。受付でお金を払った時の受け取りに番号が書いてある。最初は男性に当たったが、女性用の服なので棄権して、中年女性が当たった。係りが女性を連れて行き、その服に着替えて現れる。当たった人はそれを着て踊ることになってるらしい。
タンゴは踊りも男性主導だが、踊りを申し込むのも男性からとなってるそうだから、お声がかからぬ女性はずっと壁の花だ。タンゴが下層階級から始まった由来からなのか、何やら売春婦達がずらりと並び、男性が好みの女性を選んでいるような感じもする。
私達のグループは日本人女性ばかり7人と男性が3人。他の客は殆どカップルで男性だけと言うのは少ない。おまけに外国人には声をかけにくいのか、「日本人と踊りたい」と誘ってきたのは1人だけだ。
グループに男性が混じっていたので、代わりばんこに女性全員踊ってもらえたが、そうじゃなかったら皆、壁の花どころか、壁のシミになってしまうところだ。
曲はタンゴの他にフォルクローレ、ルンバにツイストなどもある。熟年カップルが実に楽しそうに、頬を寄せ合って踊っているのを見てるとこちらまで楽しくなってくる。
f0135018_123144.jpg

小さなお子さんのいるKさんが1時ごろ帰ると言うので、私も一緒にタクシーで帰ることにした。家に着いたのは真夜中2時過ぎだった。あーつかれたー。
アルゼンチン滞在中に一度は体験してみたかったミロンガだけど、こんなに夜遅いとは知らなんだ。一回で十分。
by ruriwada | 2011-04-25 01:04 | Comments(2)
15日
観光客お買い物用歩行者天国とも言うべきフロリダ通り近くの、パラグアイ通りにある両替店「ALHEC」へ両替に行く。この店の5個ある窓口は何故かハンサムぞろいなんだよね。しかも皆親切だから月一回行くのが楽しみだ。へへ
我が家からは約1キロ。これまた私のお気に入りのアルベアル通りを歩いて行く。途中フランス大使館そばを通るんだけど、この大使館前に「プラサ・カタルーニャ」と言う名の小公園がある。カタルーニャ地方の有名な水道のレプリカがあって、蛇口から水が飲めるようになってる。庭木の手入れをやってるおじさんが、ガブガブ飲んでた。
f0135018_3273731.jpg

f0135018_3281767.jpg

            カタルーニャ地方の水道のレプリカ
ブエノスアイレス市の水道の水、夫はそのまま飲んでも平気だけど、何故か私は沸かした水でも下痢をする。2年間しょっちゅう下痢するし痩せてきたんでちょっぴり心配だったんだ。亭主は何故かうれしそうに「ガンだガンだ」って脅かすし。
ところが旅行中には全く下痢しない。旅行先ではペットボトルの水しか飲まない事にふと気がついて、最近は必ず浄水器を通した水だけ飲むようにしたら、下痢しなくなった。消毒用の塩素か何かに敏感なのかもね。
ところで、広場にはパロボラチョの木が数本、まだ美しい花を咲かせていた。開花期間が長い上に開花時期がバラエティに富んでるらしく、10月半ばから咲き始め、まだ咲いてるのだ。
このパロボラチョ、実にユニーク。これまで何度かこの木について書いたけど、まだご存知ない人のためにおさらい。
幼木はまっすぐな幹に、鋭く長いトゲがびっしり生えている。成長するにつれてトゲが少なくなり、成木になるとトゲが消え、幹の中ほどが段々膨らんでくる。中年期にはまるでビヤ樽状態。まさにビール腹のおじさんだ。パロ(木)ボラチョ(酔っ払い)の名前の由来である。
花は大きさ、色合い、形までカトレアそっくりだが、何となくだらりとしていて、酔った美女といった風情だ。初冬になると男性の手のひら大の楕円形の実がなり、やがて実が割れて真っ白い綿が飛び出す。冬の公園の芝生はまるで白い毛の犬のブラッシングでもしたみたいに、この綿があちこち散らばっている。
f0135018_3295165.jpg

              カタルーニャ広場のパロボラチョ。少しお腹が出始めてる
f0135018_332766.jpg

カタルーニャ広場のパロボラチョ。背後の建物はフランス大使館
16日
日本語クラス。二人がお休みで5人来た。皆、私の大地震体験談を聞きたがる。生徒のうちの一人は息子さんが川崎で学生生活、もう一人はやはり息子さんが静岡に住んでるので、心配でたまらないらしい。5人のうち地震経験者は一人だけで、日本滞在中に震度3の地震で震え上がったと言う。
道をトラックが通った時部屋が少し揺れるけど、あんな感じかと聞かれ返答に窮した。あの震度6強の恐ろしさは、経験した者じゃないと分からないだろうなー。
町のあちこちに「Que el Sol Naciente vuelva a asomar」と書かれた大きな看板が立っている。Sol Naciente は朝日とか日の出の意味。El pais del sol nacienteは日出ずる所の国、日本を指す。
日本に再び太陽が顔を出しますように、と言う意味のブエノスアイレス市による日本支援キャンペーンである。
f0135018_336477.jpg

by ruriwada | 2011-04-18 03:38 | Comments(0)
4月11日
3ヶ月前からスカイプを始めたのだが、3人の子供達と友人1人にしかアドレスを教えていなかった。時々知らない人からコンタクトの要求が来るが、無視している。昨日、また、コンタクト要求のメッセージが入り一瞬で消えた。消える間際にファーストネームが見えた。え?まさか?
あわててスカイプのアイコンをクリックすると、そこには3年以上音信が途絶えていた友人の名前があった。彼はスペイン人でマドリッド住まい。彼のメルアドが数度変わり、私もアルゼンチンに来たので、連絡が途絶えていたのだ。こんな事ってありい?
折り返し通話を求めてみたが数回試しても通じず、やはり同姓同名の別人だったかとあきらめた。
今朝またコンタクト要求が来たが、クリックする間もなくまたもや消えた。ダメモトでと通話を求めたら、何と本人だった!懐かしくて30分もしゃべってしまった。スカイプってこんな事が起きるんだねえ。まさに奇跡だよ。
午後、タンゴとスペイン語を習いにセントロ日系へ行く。タンゴクラスには日本人男性がもう一人入会。これで現在、男性4人、女性5人だ。タンゴは完全に男性主導の踊りなので、相手によってずいぶん踊り方が違うから大変だけど面白い。
今度皆でミロンガに行く事になったが、ミロンガは始まるのが夜の11時ごろからだと聞いてびっくり。タンゴもたいてい始まるのは9時から10時頃だが、ミロンガはさらに遅いのだ。そしてアルゼンチン人達は明け方近くまで踊るらしい。肉食人種のタフさには魚、草食系の日本人にはとてもついて行けない。
f0135018_4255124.jpg

             パロボラチョの花はほとんどピンクか赤紫だが、珍しい色のを見つけた
f0135018_4283891.jpg

   パロボラチョの実。冬になると真二つに割れて中から白い綿状の物が飛び散る
13日
Iさんが日本語を習いに来た。今日はIさんが子供の頃の話をし始めた。Iさんの住んでるビセンテロペスは今では郊外の高級住宅地で大統領の公邸もある地区だが、当時は見渡す限りの原っぱの中に家が3軒並んでたっていただけ。真ん中がIさんのお宅で両隣がイタリア人。イタリア人も魚を良く食べるので、毎週1回、セントロのレティロ駅から列車で魚を売りに来たと言う。
日本の昔の魚屋さんと同じように、前後に木のつるで編んだ籠を下げた天秤棒を肩にかついでいたそうだ。魚の上には氷が山盛りかぶせてあったので、きっとずいぶん重かっただろう、Iさんの家の前で荷を下ろし、その場で魚をおろしてくれた、とても美味しかったのを覚えている、と言う話だった。
日系人達の昔話をお聞きすると実に面白い。
14日
朝7時半頃、おや、雨が降ってる、と窓の外を見ると、下のリベルタドールで1台の乗用車が停まり、男が傘もささずに下りてきて、車の背後に三角錐のポールを置いた。ハハーン、故障車だな、朝っぱらから気の毒に。
30分後見ると、男は雨に濡れながらレッカー車か修理の車を待っている様子。1時間後にも同じ場所でじっと待っている。1時間半、2時間、2時間半、まだじっと待っている。いくらアルゼンチン人が行列で待つのに慣れているとはいえ、辛抱強さにはほとほと感心してしまった。
結局レッカー車が来たのは3時間余後。その間、小雨の中にじっと立って待っていたのだ。日本人なら、特にうちの亭主なんか、10分でも待たされるとすぐに右往左往し始め、電話で矢の催促を始めるだろう。
辛抱強さには感心したが、故障車の処理に来るのに時間がかかるのにはあきれた。
f0135018_4313883.jpg

街角光景 レコレタの墓地周辺には毎週日曜日大規模なフェリアができ、面白い物を色々売っている
by ruriwada | 2011-04-15 04:35 | Comments(0)
4月9日
窓の外から騒々しいクラクションの音が鳴り続けているので覗いて見た。リベルタドール大通りを数百人のスケーターが道路一杯、あるいは車の間を縫うように走っている。やれやれ今度はスケーターかいな。いつもは自転車だけど。それにしても車の間をジグザグに走り抜けるスケーターを見ているとヒヤヒヤする。
この国の若者達は服装はまともだけど、やることがすごい。でも何のためにこんな危ないデモンストレーションをやってるのだろう?どう見ても交通の邪魔をして喜んでるだけのように思えるけど。
パトカーは見当たらないし、サイレンの音も聞こえないから、警察は黙認してるのだろうか。
f0135018_7495437.jpg

          500メートルぐらいにわたって集団で走るスケーターの群れ
4月10日
今日も又窓の外がばかに賑やかだ。覗くと、ものすごい人出。バスターミナル辺りも大群衆で歩道もはみ出しそうなほど人で溢れている。ポルテーロに聞くと、「ペルーの大統領選挙。みんなペルー人だ」だって。「ヒエー!アルゼンチンにこんなにペルー人がいるの?」と聞くと「シー」と言って顔をしかめている。
「見に行こう」「行こう行こう」何故かこういう時だけは我ら夫婦はすぐ意見が一致する。UBAの法律学部の建物内で、在外投票を行っていた。ペルー人て、こんなに選挙意識が高いのかと感心しかけたけど、どうも大半が家族連れでピクニック気分らしい。さすがラテン系。選挙もお祭りなのだ。ペルー料理の屋台も出て、あちこちで家族連れが輪になって食べている。1万人は軽くいるようだ。
ブエノスアイレスにはボリビアとペルーから大勢出稼ぎ人が来ているのだそうだ。うちのポルテーロを含め、アルゼンチン人達は苦々しい思いで彼らを見てる様だ。外国からの出稼ぎ者は先ずビジャと呼ばれる貧民屈に住み着くらしい。このビジャがブエノスアイレスの犯罪人達の温床になっているのだ。
ところでペルーの大統領選にはかの有名なフジモリ元大統領の長女が立候補している。日系ペルー人の話だと、日系人が大統領になるのは誇らしくて嬉しいが、何か問題があると、日系人社会全体が標的にされるから、それも困ると、ジレンマに陥ってるらしい。
f0135018_7525674.jpg

f0135018_7535211.jpg

                    大統領選挙の在外投票に集まったペルー人達
by ruriwada | 2011-04-13 07:57 | Comments(0)
4月4日
一ヶ月ぶりにスペイン語クラスとタンゴクラスに顔を出す。スペイン語の先生の妹さんは茨城県南部に半年間留学していたのだが、2月末に帰国していて無事だった。震度3の地震におびえて(何しろ地震は初体験っだので)、アルゼンチンに「こわい」と電話をかけてきたくらいだから、いなくて本当に良かった。
タンゴクラスにはアルゼンチン青年が2人入会していた。一人は以前から太鼓のクラスに来ていて、顔見知りだ。22才のコンピューター技師だが無職だという。それなのに、日本語、書道、太鼓に加えてタンゴまで習うなんて、生活費はいったいどうしてるんだろう。
「何故日本語習ってるの?」と聞いたら、「日本の文化も、人も、景色も食べ物も、めちゃめちゃ日本の物が好き」なんだって。
「どうしても日本に行きたい」と言うので、皆が「今は止めときなさい、危ないから」と言うと、「危なくてもいいから行きたい」
こりゃもうだめだ。アルゼンチンには時々こういうマニアックな日本びいきがいるのだ。
日本人としては嬉しいが、彼が心配でもある。もう一人も日本語の勉強に熱心だ。どうも二人とも、タンゴを習うより、日本人生徒達と友達になりたいというのが目的のようだ。
f0135018_7441740.jpg

        街角風景。ブエノスアイレスデザイン(ショッピングモール)
4月6日
Iさんが日本語を習いに来たが、几帳面なIさんにしては珍しく30分遅れ。乗った列車が少し走っては停車、また走っては停車の繰り返しだったと言う。
「アルゼンチンだから仕方ありません」と苦笑いしておられた。
アルゼンチンでも日本の地震、津波の様子は連日報道され、日系人であるIさんにも「日本にいる親戚は大丈夫か?」と、じゃんじゃん電話がかかって来たという。

夫はと言えば、私が我が家の被害状況の写真を見せるまで、どうせ皿が1~2枚割れただけだろうと、あまり心配していなかったようだ。
おまけに友人に貸してある別宅の屋根瓦が大半落ちて割れ、被害額は数百万円と知ってびっくり仰天、
「なんだ、うちは被災者じゃないか。出す方じゃなくてもらう方だったんだ」だって。県人会や所属の団体から、半ば強制的に被災者支援に寄付させられたらしい。
ま、私が怪我もなく無事だったんだし、家をなくした人達のために出来るだけの事をして上げたいから、大いに結構なんだけどね。
瓦の修理は材料も人手も足りなくて数百軒の順番待ちって言うから、応急処置だけ業者に頼んできた。住人である友人は「雨が降ったら雨漏りがするだろう」って、メールで愚痴ってきたけど、雨漏りの所にバケツ並べて我慢して貰うしかなさそ。何だか子供の頃過ごしたボロ家を思い出すなー。懐かしい?
4月8日
アルゼンチンは秋だけど、ここ数日めっきり冷え込んできた。今日は久しぶりにポカポカ陽気なので、夫と二人で散歩に出かけた。まだパロ・ボラチョの花が咲き続けている。UBA(ブエノスアイレス大學)法学部からアルコルタ大通りをまたいで国立美術館に通じる陸橋が、モダンなデザインに塗り替えられて、見違えるほど綺麗になっていた。
f0135018_7415952.jpg
f0135018_7471446.jpg

私の住むアパートそばの美術館もすっかり塗り替えられてリニュアルオープンした。その他でも、ちょっと見ない間にあちこちが綺麗になってきている。失業者が増えたと聞いていたが、アルゼンチンは景気が良いらしい。町にも活気がある。
f0135018_7431883.jpg

      家の近くの美術館[Palais de Glace]もすっかり綺麗になった
by ruriwada | 2011-04-10 07:49 | Comments(2)
3月30日
この25日間にあまりにも色々なことがあったので、タフな私もさすがに心身ともに疲れきっていたらしい。昨日朝、ブエノスのアパートに着いて、昼食を食べた後、(これまた珍しい事に、夫がご飯を炊いてくれたのはいいが、水の分量を間違えてガチガチ。仕方なく粥にしてくれたのだが、今度は煮すぎて殆ど重湯状態のを食べさせられた)ぶっ続けに15時間眠っちまった。
「トラベルにトラブルはつき物だ」なんていつも冗談を言っていたけど、いやはや全く、今度ばかりは参った。でも津波で家や家族を失った人達の事を思えば大変だったなどとは言えないよなー。
朝8時過ぎ、夫が「おい、生きてるんか?」と、あまりにも長時間眠りこけてるのを心配して寝室を覗きに来た。そうだ、今日は台湾茶会にご招待されてたんだ。思い出して飛び起きる。よっしゃあ、快調快調。疲れもすっかり取れたぞー。
折りよく訪ねてきたKさんに車で送って頂いて、台湾人と結婚している日本人の友人Sさん宅へ伺う。早く着きすぎたので、アパート前の歩道を行ったり来たりして時間をつぶし、いざ中に入れてもらおうとしたら、私の行動を見ていたらしい門番から怪しまれ、怖い顔つきで「何のようだ?」と詰問されてしまった。このアパート、VIPが大勢入居してるので、セキュリティが厳しいのだそうだ。
f0135018_8332364.jpg

            Sさんのお住まいのあるデマリア通り
Sさんは素敵なチャイナドレスでお出迎え。なかなかお似合いだ。客は全員顔見知りだったので最初から和気あいあい。全員そろったところで、Sさんが説明しながら数種類のお茶をいれて下さった。
お茶は先ず茶荷(ちゃか)と呼ばれる容器に必要分だけ入れ、そこから急須に移す。いわば茶筒のフタに茶を取り分ける感じだ。
f0135018_832397.jpg

                               茶荷
茶器の色は正式の場では四季により違い、春は緑、夏は赤、秋は白、冬は黒だそうで、今アルゼンチンは秋なので今日は白。お茶碗は杯と間違うくらい小さい。中国茶はお茶自体を楽しむものなので、あまり難しい作法はないが、大体3口ぐらいで飲み干すのだそうだ。
入れ方の目安は、150ccのお湯に3gの茶葉。茶葉が開いてるのは5分、固まってるタイプの場合は6分置くとのこと。
面白い由来もお聞きした。東方美人と言う茶葉は、ある村で栽培された時、虫食いだらけで誰もが出荷をあきらめた。ところが一人の村人が試しに売りに出したら、とても美味しいと評判になった。他の村人達は最初信用せず、彼をほら吹き扱いしたので、ホラ吹き茶と呼ばれるようになったと言う。この葉だけは虫食いが珍重されるそうだ。
f0135018_835642.jpg


という訳で、またまた貴重な初体験をさせて頂いた。人間いくつになっても、まだまだ学ぶべきことが一杯あるんだねー。

ところで茶会の席でkさんから、先週の土曜日、バリオ・チノ(中華街)の、私達の行きつけの店「カサ・チナ」で催涙ガスの被害に遭われた話をお聞きした。突然白い煙が見えたと思ったら、咳が出て喉が痛くなり、涙が出始めたので、ご主人と急いで外に飛び出したと言う。行きつけのもう一つの店「アジア・オリエンタル」でも脅迫の電話があったらしい。
中華街の住人は以前はほとんど台湾系だったのだが、現在では中国系、それも大半が不法入国者が急増。中国系のマフィアがはばをきかし、みかじめ料を払わなかったり、値上げの要求に応じなかった店舗への嫌がらせを繰り返しているのだそうだ。
夫はいつもは土曜日に行くのだが、その週だけは日曜に行ったので巻き込まれなくてすんだ。
この3年間、一度も危険を感じなかった地区なのに、物騒になったものだ。私はトラブルに巻き込まれるのはしばらくご遠慮したいから、当分は夫だけ買い物に行ってもらおう。
f0135018_8361590.jpg

Sさんのアパートから見たブエノスアイレスの風景。遠くに見えるのはラプラタ川
by ruriwada | 2011-04-07 08:38 | Comments(4)
f0135018_2351488.jpg

 日本の被災地で救助稼動した帰りのレスキュー隊員達
(EMPACT NORTHWESTと言うグループ) 成田ーシアトル間のユナイテドエアライン内で
3月24日
昨日成田からシアトルに着いたとたん、長女から「お母さんも学校の募金活動の仕事を手伝って」と言われ、孫娘の通う学校に連れて行かれた。千羽鶴を折り、寄付してくれた人の名前を折鶴に書くのだそうだ。千羽鶴は日本食良品店「ウワジマ屋」に飾ると言う。
この学校に通う日本人は3家族だが、大勢のアメリカ人母子が駆けつけてくれて、震災被害者救援募金は半日で500ドル集まった。私も子ども達に折り方を教えながら鶴を沢山折ったのだが、今朝起きたら、肩がパンパンに張っていた。
娘婿が「良いマッサージ師がいるから」とマッサージをプレゼントしてくれて、2時間全身のマッサージを受けたら大分楽になった。
3月25日
3日間シアトルで長女一家と楽しく暮らし、シカゴ経由でニューヨークへ向かう。シカゴ行きの搭乗口で搭乗間近、突然名前を呼ばれ、何とファーストクラスにキャンセルが出たからと、ファーストクラスのチケットに変えてくれた。
実は3年前、ユナイテドエアラインから「プレミアム マイレージカード」と言うのを送って来たのだが、何の役に立つのか分からなかった。これが実に素晴らしい特典だと今回初めて分かった。
最近のアメリカ国内線ではエコノミーは預け入れ荷物が有料になったのだが、このカードがあると2個まで無料。しかも上のランクに空きがあると自動的にレベルアップしてくれるのだ。
アルゼンチンからシアトルに来るときも、エコノミーのはずが乗り換えも含め2機ともエコノミープラスになっていたので怪訝に思っていたのだ。
シカゴからニューヨークまでもファーストクラスだった。もっとも、ファーストクラスと言っても、アメリカ国内線はビジネスもファーストも一緒なので、実質的にはビジネスだ。
嬉しくなって、アルゼンチン出発時に2日間もフライトをキャンセルされた恨みも忘れてしまった。つくづく、われながら単細胞だと思うよ。

ラガーディア空港まで、次女の婿さんがオンボロ車を転がして迎えに来てくれた。貧乏絵描き夫婦がよく車など買えたものだと感心してたら、海外へ引っ越す友人からもらったのだそうだ。なっとく。
3月26日
ここでも日本支援募金活動の場へ娘に連れて行かれた。ボランティアが子供達に工作を教え、親が募金箱に寄付。アメリカでは各地で日本支援の募金活動をやっていると言うので嬉しかった。
帰り道、偶然「エル・アルマセン」と言う看板を見つけ、良く見るとアルゼンチン料理店だった。婿さんが早速夕飯にここへ皆を連れて行ってくれ、久しぶりにアルゼンチン料理を堪能。店にはタンゴの曲が流れ、懐かしい。アルゼンチンは私の第2の故郷になったのだなー。
3月27日
午前中、2才半の孫娘のプール教室を見学。因みにこの子は私のことをアルゼンチンバーバと呼んでいる。おばあちゃん扱いされるのが嫌なのはどの国の女性も同じと見え、婿さんの母親がグランママは嫌だと、日本語のバーバと呼ばせているので、区別するためにアルゼンチンバーバになったと言う次第。
f0135018_2356241.jpg

                      孫娘のプール教室
午後はマンハッタンに出て42番街を散策と、日本食品の買い物。シアトルの税関で、日本から持ってきた食品の大半を取り上げられてしまったので、ニューヨークで補充することにしたのだ。
ところで私はチキン入り食品を没収されただけですんだが、娘の友人は抗議したため、罰金まで取られてしまったそうだから、アメリカ行きを計画している方はご注意を!

この後、マンハッタンに住む、婿さんの両親の家に行き、総勢5人半で日本人経営のレストランへ。地下は寿司店で美味しい本物の寿司を食べさせてくれるそうだが、私が洋食のほうが良いと言ったので、一階のエスパニック部へ。美味しいロブスターを食べて大満足。いつも奢ってもらってばかりなので、言い張って少し出させてもらった。
f0135018_23571788.jpg

           ロブスター料理。美味しそうでしょう。へへ
3月28日
午前中は孫娘の幼児教室に参加。日本やアルゼンチンではまだまだ若いつもりで行動してたが、アメリカでは“おばあちゃん”の役をたっぷりさせられ、何やら急に年を取った気分だ。
午後、アメリカバーバに孫娘のベビーシッターを頼み、次女が車でラガーディア空港まで送ってくれた。最初エコノミーの自動読み取り気にパスポートを入れたが、何度入れても受け付けない。カウンターの男性に言いに行くと、「あそこで並んで待ってろ」とそっけない。他に誰も並んでいないのに、数人いるカウンターの人たちは知らん顔。
ワシントンまではエコノミーだが、ワシントンからブエノスイアレスはビジネスなので、ビジネスのカウンターに行ってみた。説明し始めたとたん、カウンターの女性は実に冷たい口調で「エコノミーはあっち」とそっけない。
娘が「ママはビジネスで旅行してる」と言ったとたん、君子豹変ならぬ、豹子君変?顔中に愛想笑を浮かべて、すぐに手続きしてくれた。まったく、人種じゃなくて金種差別もはなはだしい。
3月29日
午前9時半、無事ブエノスアイレスに到着。エセイサ空港からのタクシーがわずか2ヶ月でまたもや10ペソ値上げしていた。いったいどこまで値上げが続くのだろう。

f0135018_23582166.jpg

             街角光景。ブエノスアイレスのいたる所にあるキオスコ
by ruriwada | 2011-04-02 00:00 | Comments(2)