ハッスルおばあちゃんのアルゼンチン日記


by ruriwada

<   2011年 03月 ( 7 )   > この月の画像一覧

3月22日
雨の中を走り回って、帰国前に予定していた雑事を全てこなす。肝心の所得申告も被災地は期限延期とかで無事すませ、明日の成田行きバスのチケットを買い、土浦市に住む高齢の従姉妹の様子を見に行く。
留守中の車の保管と車検を細田オートに頼み(美人で独身の若い社長さんでとても親切)、貸家の屋根瓦が大半壊れたので管理会社に修理を依頼。
家に帰ってからは各地の友人たちに安否確認の電話。千葉県旭市に住む友人宅は海岸からかなり離れているので大丈夫と思っていたのだが、庭まで水が来たそうだ。でも本人は怪我もなく家の中も無事だったと聞いて一安心。「10月までお互い生き延びたら、ランチしようね」
帰宅後、放射能を落とすために、髪を洗い、使用した傘、靴、帽子、マスクを全部洗う。コートは洗えないので、別のを着て行くことにする。靴も新品を履いて行く予定。アメリカに住む娘夫婦が放射能汚染にエキセントリックになっているのだ。
3月23日
昨夜から余震がひどい。今朝方は又、数分おきに続けて震度4-5の揺れが来た。無事に成田まで行けるか不安だったが、幸い出発の10時半頃には余震が途絶え無事バス発車。成田空港からシアトルまではマイレージでグレードアップして、ビジネスにしたのでラウンジで過ごせた。
飛行機のドアが閉じられた後、乗務員に連れられて3人のアメリカ人がエコノミーからビジネスに移って来て、座席に着いたとたん 「ワオー」と歓声を上げた。
見ていたら乗務員が「彼らはレスキュー隊員で、日本での活動の帰りなので,UAからのサービスだ」と説明してくれた。私が「彼らにありがとうと言ってくれ」と頼むと、乗務員が伝え彼らが振り向いて話しかけてきた。
「いわきに行っていた。被災地の人たちの助け合いに感動した。素晴らしい人たちだ」と心底感動した様子。危険も顧みず、異国の人たちを助けに駆けつける人たちと身近に接して、感激で思わず涙がこぼれた。 
シアトルに着いて入国審査をすませ、税関の所で、別の通路へ導かれた。ここで全部の荷物を3ヶ所でx腺検査され、「食べ物を持っていますか?」と聞かれた。カレーのルーはこれまで引っかかった事がないので「カレールーだけ」と言うと、機内持ち込み以外の荷物2個を開けられ、次々に取り出して下に落としてゆく。
びっくりして「えー?どうして?」と聞くと、「チキンはノー」だって。ええつ?チキン?
係官は日本語の材料名の中にチキンブィヨンと書かれた部分を示す。
でも、何でチキンが・・首をかしげていると、「ウィルス」と係官。
そっか! トリインフルだ。結局、カレールー、ハヤシライス、クリームシチュー、炊き込みご飯(きのこは見逃してくれた)、振りかけの一部が次々床へ。ショック!
思わず「信じられない」とつぶやくと、係官は「アイ・アム・ソーリー」と口では言いながら情け容赦ない。
放射能検査は聞いていたが、まさかトリインフルとは。思わぬ伏兵にしてやられた。がっくり。

でも最後にすばらしいハプニングが待っていた。アルゼンチンを出る際のトラブルでお世話になったOさんがシアトル住まいで、「日本から戻られる時、シアトルに着いたらお電話下さい」と言われていた。娘の家に着いて電話すると、大きな鮭を持って訪ねて来て下さったのだ。
水産物輸入業者のOさんが「これは市販されていない最高の鮭ですよ」と太鼓判を押された鮭は、確かに、今まで食べた事がないほどの美味しさだった。
娘夫婦は勿論、孫達まで「わー、おいしー」を連発しながら食べた。
グルメの誘惑にはからっきし弱く、単細胞の私は、美味しい食べ物にありついただけでハッピーになってしまうのだ。
by ruriwada | 2011-03-25 09:54 | Comments(0)
3月19日
息子が「仕事で指宿に行くけど、一緒に来る?」と聞くので、喜んで付いて行った。指宿はポカポカ陽気。菜の花が真っ盛りだ。まさにここは南国。仕事は12時からなので、早めに家を出て砂蒸し風呂を楽しんだ。
息子は親孝行のつもりか、毎日違う温泉へ連れて行ってくれる。事あるごとにひとを年寄り扱いするのは気に入らんが、色々気を使ってくれるのが嬉しい。でも口から出るのは「まだまだこんなことで親孝行したつもりになってもらっちゃ困るぞな」
息子は「はいはい、わかりましたよ」
砂風呂って初めてだったけど、すごく重いんだね。胸が苦しいくらいだし、おまけに尻が火傷しそうに熱い。それにしても息子と並んで砂に埋まってるなんて、これが最初で最後だろうなあ。
f0135018_20433066.jpg

              鹿児島市内の温泉銭湯からは櫻島が見える
3月20日
今日は日曜なので息子が「母さん、鹿児島はもうほとんど見たよね。熊本へ行こうか」
「うん、いくいく」といそいそと出かけたまでは良かったが・・・
家を出た時は小雨だったのが途中から大雨になった。水しぶきで前が見えないような九州道を飛ばすこと2時間。熊本インターで下りてすぐのガソリンスタンドに寄り、息子が「しばらくオイル交換してないからやってもらう」と言う。
ところが・・ここで大問題発生。
息子のランドクルーザーは一年前に中古で買ったのだが、外したネジがはまらないというのだ。ネジ穴が磨滅していたらしい。結局レッカー車が来て鹿児島市内の修理店に運ばれ、息子はレンタカーを借りて、大雨の中を戻る。何のことはない。大雨の中を往復4時間ドライブしただけに終わってしまった。
毎日温泉に浸かっていい気分になっていたバチが当たったのかもね。それとも湯当たり?
「それにしても、今回の母さんはトラブル続きだね」と、息子があきれている。
確かに災難続きの旅だけど、見ず知らずの他人から一杯親切をもらった、感動続きの旅でもあった。
ここのガソリン店の店員も「せっかく熊本に来られたのだから熊本城でも見て行かれては」と、わざわざわ車を回して来て「自由に使って下さい」と言う。
「ガソリン店の代車ですか?」と息子が聞くと、「いえ、僕の車です」と、人の良さ丸出しの笑顔で言う。さすがそこまで甘える訳にはいかないからお礼を言ってお断りしたが、親切さに感激した。
f0135018_20461213.jpg

                      指宿はもう桜が満開
3月21日
鹿児島中央駅朝8時の新幹線で東京へ向かう。博多から座席指定はほぼ満席、自由席は超満員で、座席指定車とグリーン車の間の連結部にも大勢の人が立っている。ほとんど皆大きな荷物を抱えている。
生活物資不足の地区へ関西や九州地方から買って帰るのだろうか?鹿児島で懐中電灯を買おうとしたら、売り切れ、とうぶん入荷の見込みも追ないと聞いてびっくりした。
今日は朝から雨。雨は放射能をくっつけて落ちてくると言う。上野駅で傘を買い、マスクをし帽子をかぶる。私はあまり心配していないのだが、アメリカに住む娘たちが連日うるさく言ってくるのだ。アメリカは今回の日本の原発事故に対して集団ヒステリー症を呈しているようだ。
家に帰ってから震度は2ぐらいだが3度余震があった。完全に終息するまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
明日成田からアメリカ経由でアルゼンチンへ向け出発の予定だが、アメリカでは日本からの便の乗客全員に放射能検査をしてるという。さてどうなることやら。
by ruriwada | 2011-03-22 20:47 | Comments(0)
鹿児島に来て5日目。鹿児島は人も気温も暖かい。息子の住む紫原はもう並木の桜が咲いている。テレビをつければ被災地の目を覆うような惨状に放射能、相変わらず続いている余震のニュースだが、1歩街に出れば、のどかで活気に溢れ、同じ日本とは思えない。
息子のアパートの風呂は汚くて使う気がしないので、毎日銭湯に通っているが、これがすべて温泉。自分だけこんなことしていて良いのかと、うしろめたい。息子が義捐金を寄付したのを見て、ちょっぴり罪悪感がうすれる。
つくばの家はどうなってるのかなあ。2階の箪笥が倒れてたけど、そのままにして来た。
21日につくばに戻り、23日に成田を発つ予定だけど、こんな状況では予測がつかない。
今日はとりあえず、放射能除けに帽子を買ってきた。
by ruriwada | 2011-03-18 17:48 | Comments(2)
大勢の方から安否の問い合わせがきて涙が出るほど嬉しかった。
鹿児島に住む息子から、「一日でも早く来て」と連日電話がきたが、交通手段がなく、相変わらず続く余震におびえながら一人で耐えていた。とうとう断水し、電気も止められるという知らせ。
ラッキーにも昨日、つくばエクスプレスが午後2時まで運行されると聞き、下着とパソコンだけ持って。駅まで3キロを歩いて(アルゼンチンで鍛えていたので苦にならなかった)、ツクバエクスプレスに飛び乗り東京駅へ。
幸い博多方面への新幹線は平常運行していて、乗ることが出来た。乗ったとたん、地震があってぎょっとしたが、出発したのでほとした。朝10時10分に東京駅を発ち、午後5時半に鹿児島中央駅に到着。
息子に「避難所に来た」と言ったら、「一所懸命部屋の掃除をして迎える準備をしたのに、避難所と一緒にすることはないでしょう」と怒られてしまった。ハイ、ごもっとも。ごめんなさい。
4日ぶりに風呂に入り、安心して眠ることができた。
今朝早く起きて、豚小屋のような息子の台所を掃除してると、息子が「やめてくれ」という。
しばしのバトルの後、息子の寝室だけは絶対手を出さない、ということで妥協。
やれやれ、この破天荒な芸術家殿との同居にどこまで耐えられるか・・・

それにしてもひどいことになったものだ。あまりの惨事に声もでない。
by ruriwada | 2011-03-15 13:32 | Comments(2)
いやーもうびっくり。
シアトルで3日間、娘一家と楽しく過ごしてから帰国し、8日につくば市にある自宅に着いた。半年間の留守中泥棒にも入られず、全て元通りでほっとした。
11日の11時、東京から友人二人が遊びに来て、イタリアンレストランでランチ。コーヒーは家で飲もうと、自宅に戻って数分後、突然ギシギシと言う音と共に揺れが始まった。
腰を浮かせて様子をみてるうち、だんだん揺れがひどくなりしかも長い。古い木造家屋なのでつぶれた大変だから、3人で外に飛び出した。
まともに立っていられないほど地面が揺れる。駐車場に留めてある私の車がトランポリンを始めた。道路向こう側のアパート屋根から瓦がバラバラ落ちて来る。
3人で手をつなぎ合って揺れが収まるのを待ち、こわごわ家に入って唖然。大型テレビが台から転げ落ち、リビングキッチンは割れた食器類で足の踏み場もない。
f0135018_10113319.jpg

                     最初の大揺れの後の我が家
友人たちが手伝ってくれてガラスや陶器類の破片を片付けていると、またもや大揺れ。あわてて又飛び出す。
あとはこの繰り返し。数分おきに震度3~4の揺れが来る。
不思議なことに最初にギシギシ音がする時といきなりユサユサが始まる時がある。どうやら、最初の東北地方の大地震と、二度目の茨城県の大地震の余震が交互に襲うらしい。
交通機関は全て閉鎖され、家に帰れなくなった友人たちはうちに泊まることになったが、ケータイも固定電話も通じず、家に連絡が取れない。
幸い電気が来てるのでインターネットで試したら、連絡がついた。
数分おきに余震が始まるのでガスは使えないから、生ものと電子レンジで温められる物だけ食べ、3人ともいつでも飛び出せるようコートを着たまま、テレビとにらめっこで一晩中過ごす。
帰国したばかりで食料は一人分しか買ってなかったので、3人で食べたら何もなくなってしまった。朝8時に近くのコンビニに行って、またもや唖然。棚が空っぽなのだ。残ってるのは水以外のドリンク類と菓子だけ。
10時開店の大型スーパーまで行ったら、入口から」駐車場まで長蛇の列。3人で並んで待ちながら周りの人たちと話していたら、どうやらつくば市の、我が家を含むごく一部を除き、昨日から停電と断水が続いているらしい。
しばらく様子を見ていると店から出て来る人は全員、水だけ抱えてる。店員が出てきて、レジが使えないので、水だけしか販売できないという。
f0135018_10131482.jpg

                      水を求めて並ぶ人達
10キロ先のひたち野牛久店では正常営業してると言うのであわてて車でを走らせる。お惣菜コーナーに突進すると、弁当が1個とコロッケが数個あるだけ。何とか数日分の食料を確保して、レジに並んでいると、後ろの女性がケータイ見ながら、東電から停電のお知らせが出ている,と言う。
友人に隣のドラッグストアに走ってもらい、ホッカイロを確保。最後のワンパックだったとか。エアコンが使えなくちゃ最後の暖房手段はこれしかないものね。
f0135018_1015829.jpg

         10時開店のスーパーは10時半には殆どの棚がこの状態
3時ごろ常磐線は取手駅まで開通、つくばセンターから取手駅まで臨時バスが出ているとネットで知って、友人たちをつくばセンターまで送る。6時ごろ友人たちから「無事帰宅」の連絡が相次いで入りほっとした。
三日目の、これを書いている今も時々震度3~4度の地震があり、半分逃げ腰でパソコンに向かっている次第。
by ruriwada | 2011-03-13 10:18 | Comments(0)
3月2日
ケチのつき始めはエスタだった。UAのチェックインカウンターに行ったら、エスタをチェックしたが、登録が見つからないから発券出来ないと言う。
そんなバカな、同じ番号で5回もアメリカを通過してるのに。別のチェックインカウンターで調べて貰ったがやはりない、と言う。車で送ってくれた、旅行会社のN氏が空港備え付けのパソコンで作り直し、印刷して、カウンターに行ったが、これまた登録されていない、と言う。
ベテランらしい人がコピーをチェックしたら、私の名前の最後のriがmiになっていた。パソコンが古くてキーボードの文字が消えかかっていたので、N氏が入力ミスしたのだ。ご存知エスタは一度登録されると1年間は再登録できないと聞いている。
ベテランとN氏が二人でパソコンで調べた結果、最初のエスタに私の名前は確かに登録されてるが、パスポートのナンバーが違っていたらしい????
これまで使用した航空会社は「エスタを持ってますか?」「はい」ですみ、アメリカの税関でも「エスタを持ってるか?」と聞かれ、番号を印刷した紙を差し出したが、ちらりと見ただけだったのでこれまで通っていたらしい。
それを話すと、UAのカウンターも「アメリカで調べられる事はないし、成田で何か言われたら、来る時は発給してくれたと言えば大丈夫だろう」と、結局2時間後に発給してくれた。
一時はどうなることかと焦っていたがほっとした。
さて、無事に通関も済ませ出発ゲートで待っていたら、出発予定の10時の30分前になって、何やらキャンセルのアナウンス。皆が騒ぎ出した。アナウンスが良く聞き取れない。そばにいた日本人と思しき男性に声をかけたらやはり日本人で通訳してくれた。
「機体の故障が直らないので今日のフライトはキャンセル。再入国手続きをして、荷物を受け取って下さい。ホテルを用意する。明日の同じ時刻に出発」だって。ゲゲゲ
N氏に電話すると「今からすぐ行く」と言い、通関をすませて出てきたところで出会った。それまでの間ずっとれいの日本人、0氏が通訳したり、荷物を運ぶのを手伝ってくれたりと親身になって助けて下さったので心強かった。まさに捨てる神あれば拾う神ありだ。
夫に電話してニューヨークにいる娘に、一日遅れると知らせて欲しいと頼む。
ホテルはうちのアパートから500メートル程の「エムペラドール」、5星だ。自分の家に帰っても良かったのだが、皆と一緒に行動したほうが便利だろうと、ホテルに泊ることにした。
食事も今夜、明日の朝とランチを出してくれると言うし・・ネが意地汚いから、こういう話が出るとすぐに怒りがどこかへ消し飛んじまうから我ながら情けない。
それにこの豪華なホテルをいつも外から見ているだけだったから、一度は中を見てみたいし。
ホテルに着いたのは真夜中12時半。日本では使わないからとケータイの充電器を家に置いてきたが、やはり持っている方が安心だから、自宅に取りに行くと言うと、いくら近くでも夜道は危ないからと0氏が一緒に来て下さり、その後近くのレストランで食事をご一緒した。
さすがブエノスアイレス市内の一等地にある5星ホテルは格が違う。浴槽とシャワールームが分かれてるし、ダブルベッドが2つもある大きな部屋だ。
3月3日
このホテルの朝食は豊富で、何より、コーヒーが素晴らしく美味しかった。
N氏から電話が来て、やはりエスタはきちんと取っておいた方が良いので、もう一度事務所のパソコンでやってみるから来て欲しいと言う。Oさんも今日の便の再確認を頼みたいと言うので一緒に行く。住所をアルゼンチンにしてやってみたら、ちゃんとエスタの承認が下りてほっとした。
6時にバスが迎えに来ると言っていたが、ちゃんと定刻に来たので感心したら、小型バスだったので乗り切れない。一度積み込んだ荷物を全部降ろし、早い便の人達だけ乗せて行ってしまった。
やっと7時半になって大型バスが到着。空港に着いたらUAは長蛇の列。何しろ2日分の乗客だ。いくら出発が1時間遅れると言っても間に合うのか心配になって来た頃、皆が騒ぎ出した。
係りが前の方の人達のチケットを見て何か話してたと思うと列を去る人達がいる。N氏に聞くと、昨日故障した機と今日のと2機飛ばす予定だったが、故障機はまだ直らない。今日の便の人達を先に乗せ、空席に昨日の乗客を乗せているようだ。他の航空会社に回された人もかなりいると言う。
バスが着いたのが遅かったので、ホテルに泊った乗客達はほとんど又もやキャンセルされてしまった。やれやれ、見分不相応な豪華ホテルに泊れて喜んだバチが当たったようだ。皆と行動を一緒にしないでN氏に先に連れて来てもらえば良かったなー。でももう後の祭り。ニューヨークには2泊の予定だったのだが行けなくなっちまった。
他の人達は今晩もホテルに泊ったようだが、私は家に帰った。亭主が大笑い。
3月3日
N氏の旅行代理店に行き、ワシントン経由のシアトル行きにチケットを変更してもらう。
5時にN氏が迎えに来てくれて、今夜のワシントン行きに乗る予定だが・・・
2度あることは3度あるって言うし。ああ、神様、仏様、キリスト様、その他もろもろの神様・・今夜はちゃんと出発させて下さい。
 
という訳で、未だにブエノスアイレスでこのブログを書いている次第。
街角風景
f0135018_35023100.jpg

                     地下鉄D線のプラサイタリア駅入り口
by ruriwada | 2011-03-05 03:53 | Comments(0)
2月24日
窓の外がサイレンの音がやけにうるさいので覗いたら、サッカーのフーリガン達の乗ったバスが10台以上走って行った。その前後、周囲をこれまたパトカーや白バイ(白くないけど)が、けたたましいサイレンを鳴らし続けながら追いかけている。
毎度おなじみの光景で、以前はあきれていたのだが、中東の光景を見てから、最近見方を変えた。若者がサッカーに熱を上げてる国では革命や暴動は起き難いんじゃないかなあ。
アルゼンチンでもデモやストライキは日常茶飯事だけど、小規模だし、デモで流血騒ぎなんて聞いたことないし。デモ隊にカメラ向けると、笑顔でポーズとってくれる。
もっとも昨年暮れには地下鉄のコンスティテューション駅ではミニ暴動や商店の略奪があったけど・・
f0135018_21454552.jpg

大音響の音楽と嬌声とパトカーのサイレンのけたたましい音を立てて10数台のフーリガン達を満載したバスが窓の下を通った。

2月25日
ネリダさんから「ご主人に3月の日本語頼めないか」と電話が来た。夫が快諾。3年前に日亜学院で教えていた時に、私の留守中、夫がピンチヒッターで引き受けてくれた事があり、全員顔見知りなのだ。
唯一つの問題は、その後皆が私の顔を見てにやにやすること。うちの亭主と来たら、落語家と同じで、いつでも女房を笑いものにして喜ぶ悪い癖があるのだ。千倍位大げさに言うのはまだしも、亭主本人の失敗まで私がやった事にして言いふらしてしまう。
ずっと昔まだ亭主が会社勤めしていた頃、私が流感にかかり、たった1回洗濯を頼んだ事があった。その数日後、訪ねてきた会社の人がにやにや笑いながら、「ご主人が、俺は毎日かあちゃんのパンティまで洗わされてると会社で言いふらしてますよ」だって。・・ったくもう、変なやつと一緒になってしもた。一生の不覚だ。
2月26日
6時からカビルドの喫茶店、カルメンで県知事迎えの行事の打ち合わせ会があり、夫と二人で出席。今年は茨城県人会50周年に当たり、それに合わせて5月に県知事が來亜されるので、私達夫婦にも県の方と、アルゼンチンの県人会から協力の要請があったのだ。
県人会では準備に大忙しだ。
2月28日
パレルモレディースは12月と1月はお休みして、2月から再開。今回はパレルモ地区のパブ「MOTT」。以前私が住んでたアパート近くなので、ついでにアパート前を通ったら、花屋のルイスが大喜びで、ハグ(抱擁)され、両頬にベソ(キス)された。ポルテーロも丁度いて、ハグで再会を喜び合う。
ランチの注文がすんだところで、突然の停電。地区全体だという。前菜の生ものを食べながら回復を待つ。幸い30分ほどで電気がついたので、食事が出来た。ブエノスアイレスは停電が多いが、食事中は初体験だ。
f0135018_21501114.jpg

                  MOTTの棚の一番上に月桂冠もあった
f0135018_21514523.jpg

                 MOTTのテーブルにはハンドバックかけがついていて便利
食事が終わったのが2時半。このあとセントロ日系でタンゴとスペイン語が待っている。
800メートルを駆けてバスに飛び乗った。ほっとしてつい居眠りしたらしい。右折はないはずなのにバスが右折した。あわてて運転手に聞きに行くと、「2ブロック通り過ぎた」と、親切にも臨時停車して下ろしてくれた。
いつも、コレクティボ(市内バス)の横暴な運転手達の悪口ばかり言っててごめんね。
朝11時に家を出て、帰宅したのは夜7時半。フー、長い一日だった。

ところで、3月2日から、ニューヨークとシアトルに住む娘達を訪ねたあと、2週間ほど日本に一時帰国する。

日本への一時帰国を知った知人達からとんでもない頼みが次々舞い込んできた。
1:電気炊飯器を買ってきて欲しい(日系人)・・・
今回は私一人なので重くてとても持って来れない。9月に私達が帰国する時、今使ってるのを上げるから、それまでがまんして、と丁重にお断り。
2:鯉のぼりとペットボトルロケット発射台
  昨年二人で一時帰国した時、夫の職場の財団の設立30周年記念に、日本から鯉のぼりとペットボトルロケット発射台を自費で寄付(5万円)した。これが大評判で、財団が共同でプロジェクトを行っている、ブエノスアイレス大學(UBA)獣医学部のキャンパス内にも鯉のぼりが欲しいと前からねだられていた。時期外れで売っていないとはぐらかしていたのだが・・。
今回私が一時帰国することを知った上司が、夫に「奥さんにロケット発射台を買ってき
てもらってくれないか」と頼んできた。勿論どこからも費用なんぞ出るはずがないから、当然私達からの寄付をあてにしてのことだ。
その上、発射台1個でスーツケース1個を占領してしまう。
まったくもう、あきれカエルのひっくりカエルで、日本にカエルのがこわい。どうもアルゼンチン人と言うのは、図に乗る性格で、一度やってくれたから、今度も大丈夫だろう、と言う発想らしい。そのくせ断ってもケロッとしてる。
ダメモトで何でも頼んでくるから、こちらも出来ない時ははっきり断るのがかんじんだ。
それに、「金を払うから買って来て」も信用しないほうがいい。以前、アルゼンチン人男性に「金を払うから漢字の書かれたTシャツを買って来て」と頼まれ、渡したとたん、
「オー、ムチシマグラシアス」と大げさに感動され、キスされ抱きしめられて、チョン。
金のことなど完全に忘れた振りだった。こちらもどうせ払ってもらえない覚悟で、安い物を買わないと、えらい目にあうからご用心を!

ところでロケットは買えない理由を並べ立ててお断りしたのはもちろんだ。
f0135018_215412100.jpg

私が以前住んでいたアパート前の花屋のルイス。ここで40年ぐらい花屋をやっている
f0135018_2156771.jpg

以前住んでたアパートの管理人。2年間お世話になった。3年ぶりの再会
by ruriwada | 2011-03-02 21:59 | Comments(0)