ハッスルおばあちゃんのアルゼンチン日記


by ruriwada

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瑠璃通信18

〔アマデウス〕
昨年クリスマスの少し前の日曜日。夫と私はブラブラ、近くのパレルモ公園の中のバラ園に向かった。このバラ園では、毎週日曜日の夕方4時から無料のイベントが行われる。タンゴやフォルクローレ、ミロンガ等、毎回違うことをやるので、楽しみにしてるのだ。着いてみると、夏の間は6時半からとなっていた(日本と反対に12月は夏)。
出直そうと家へ向かっていると、途中の公園で何やら大げさな仕掛けの舞台を作ってる最中。
「何ですか?」と聞くと「アマデウス」だと言う返事。え?と怪訝な顔をすると、7時からモーツアルトを演奏するのだと教えてくれた。
クラシックじゃ面白くなさそうだけど、バラ園も今日は音楽のようだし、こちらの方が家に近いから、ついでに聞いて行こう。どうせ家に帰ってもすることがないし。
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          モーツアルトを聞きに集まり始めた人々
ステージ近くはすでに人が一杯だったので、少し離れて舞台作りを眺めているうち、ふと気が付くと、周囲は人、人、人の波。大通りも通行止めになり、皆道路に敷物を敷いて座っている。
私も持っていた新聞紙を広げて座る。周りにいた老婦人達にも新聞を分けて上げると喜んで色々話してくれた。
毎年クリスマス前に、ここでアマデウス(モーツアルトを演奏するオーケストラらしい)のイベントが行われる。これを聞かないと年を越せない、見たいな感じで、日本の第九といったところか。近郊の町から1~2時間かけて列車でやってきたとのことだった。
開始予定の7時頃には数万人の人出になっていて、全く身動きできない状態だ。よぼよぼの老人から子供までいる。若者の一人が目の前の木に上ると、数人が続けて上った。
日本で若者が集まるのはヘビメタで、クラシックはあまり人気がないが、アルゼンチン人は、老いも若きもクラシック好きらしい。
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          気がつくと回りは人でいっぱい
そのうち少し離れた場所で大声が聞こえ始め、背の高い夫が見ると、男女がケンカを始め、女性が男性を殴っているという。最初は皆面白がって高みの見物だったが、しばらくして仲裁が入ったらしく、静かになった。
この国の女性達は実に強い。店や郵便局や行列で、大声で喚きたててる女性を何度も目にした。ひかえて男性の方は、小さいうちからレディファーストを叩き込まれたせいか、内気で優しい感じの人が多いようだ。もちろん、例外は沢山いるが。
さて、開始時間になったが、ステージではまだ準備中だ。20分も過ぎた頃から、人々が拍手を始めたので、出演者が出てきたのかと思って、伸び上がってステージを見たが、誰もいない。
開始を促す拍手だと聞いて感心してしまった。日本人だったら大声で「早くしろ!」と叫んだり、怒り出したりするだろう。
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           木に登って聴く若者達
予定時刻より30分過ぎてやっと楽団員達が現れた。ステージを見れない人達のために、巨大な幕が張られ、ステージの様子が写っているので、演奏者が紹介される度に割れるような拍手が起こる。
演奏が始まったとたん、数万人の群集が、針一本落ちても聞こえるほどシーンと静まり返った。少しでも物音を立てたりすると、たちまち周囲から睨まれたり、叱責を受けてしまう。
モーツアルトの曲だけが、時に歌も交えて次々演奏される。人々は目をつぶって耳を傾けている。その顔はほとんど恍惚状態だ。クラシックに熱中出来る人がこんなに大勢いるなんてびっくりだ。
2時間ほど聴いて、疲れたのとトイレに行きたくなったのとで帰ることにしたが、それが簡単には行かない。声を出すと怒られるので、ゼスチュアで「失礼」と言いながら、隙間なく座り込んでいる人たちの間に足を割り込ませながら進む。30分以上かかってやっと人の群れから抜け出ることが出来た。
音楽も素晴らしかったが、アルゼンチン人の大衆の、高尚な趣味を知って感心してしまった。
by ruriwada | 2007-07-25 01:18 | Comments(0)

瑠璃通信17

メンドーサとアンデス山脈への旅 Ⅳ
 翌日,帰りのバスの出発は夕方7時だから、荷物をホテルに預けて、郊外にあるサン・マルティン公園内の動物園にコンドルを見に行くことにした。
 地図を頼りに歩いていたら道に迷い、ポリスが二人いたので尋ねた。
「歩いて行くのはとても無理だ。バスに乗った方がいい。自分達も同じバスで近くまで行くから、ここで待っていなさい」と言うのでバスに乗ることにした。
「バスの料金はいくら?」と聞くと「一人1ペソと10センタボ」とのこと。財布を出して小銭を数えたが20センタボ足りない。私達の様子を見ていたポリスがポケットから20センタボ出して、「これを使え」と言ってくれたのでびっくり。
ブエノスアイレスではアルゼンチン人から、「警官はワイロをとる」「警官はあてにするな」などなど、散々吹き込まれていたからだ。
アルゼンチンの田舎の人達は純朴なんだね。バッグの中を探すと小銭があったので、お礼だけ言っておいた。バスを降りて歩き出してからしばらくして、去って行くバスを見ると、中で二人のポリスがいつまでも私達に手を振っていた。何だか胸の中がふわっと温かくなった。
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                 サンマルティン公園内
公園の入り口で聞くと、動物園の入り口まで3キロあるそうだ。バスで行った方が良いと言われたが、公園が綺麗なのでブラブラ歩いて行くことにした。ジョギングの人達が何人も追い抜いて行く。乗馬中の人達ともすれ違った。自然公園といった風で小さな沢も流れている。大きなスタジアムもあるが、荒れた感じで長い間使われていないようだ。
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                 動物園入り口
暑さと疲れでフラフラになった頃やっと動物園にたどり着いた。入場料一人5ペソ(約200円也)。敷地は広大で山あり谷ありの、自然の地形をそのまま活かした動物園だ。やはり子供連れが多い。子供達が人懐こく「どこから来たの?」と問いかけて来る。「ハポン(日本)」と答えると皆キョトン。
動物の種類はそれ程多くはないが、猛禽類はけっこう多い。お目当てのコンドルは高い岩場の上に十羽ほど見えた。岩場から岩場へ飛ンドル姿も見ることが出来て大満足。
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疲れたので帰りはバスで町の中心まで戻った。歩道のオープンテラスで食事をしたが、物乞いが何人も寄って来るので一寸ショックだった。
美しい街路樹の下で優雅に食事を楽しむ人達と、その人達にお金をせびりに来る人達。Bブエノスでは見慣れていたが、こんなのどかな田舎町でも貧富の差が大きいのだろう。
メンドーサのバスターミナルは結構大きいのだが、発着場は押すな押すなの大混雑。観察してると、どうも一人の乗客に数人の見送り人がいるようだ。出発するバスに向かって大勢が手を振ったり投げキスをしたり、にぎやかなこと。これじゃ混雑するはずだ。
やっと待合室の椅子に座れたと思ったら、目の前で小競り合いが始まった。二人の男性が、一人の男性を後ろ向きに壁に押し付け「ポリシア!ポリシア!」と叫んでいる。どうやらスリを捕まえたらしい。
捕まった方は逃げようと必死で暴れるから、野次馬が加勢してスリを床に転がし、若い男が足で蹴りつける。数分して警官が二人自転車で駆けつけた頃には私達の回りは野次馬で一杯。
「あ、こんな時が一番危ないのよね」と、二人で急いでその場を離れた。その後トイレに行き、出発を待つ列に並んだら、夫が「おい、リュックのチャックが開いてるぞ」と言う。
急いでリュックを下ろして見ると、三つあるチャックのうち、財布を入れた場所のチャックだけが開いている。中を確かめると財布がない。やられた!
トイレで財布を出してチップを払った時、後ろにいた人がじっと財布を見ていたが、私が財布を戻す場所を見ていて後をつけたのだろう。それにしても鮮やかな手口だ。中身はわずか百円位だったが、財布は母の形見で気に入っていたのでショック。
by ruriwada | 2007-07-20 04:06 | Comments(0)

瑠璃通信16

メンドーサとアンデス山脈への旅 Ⅲ
翌日のボデガ(ワイナリー)見物ツアーは10時の出発。ツアーは私達夫婦だけとのことで、乗用車だった。つまり専属の運転手とガイドつきの大名旅行ということ。
最初に訪れたボデガ・ラ・ルラルは博物館を兼ねていて、古いワイン製造関連の道具類が沢山見られて面白い。牛皮を使った物が多く、牛一頭の皮をそのまま使った発酵袋もある。
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              牛1頭分丸々使ったワインの醗酵袋
山積みにされてるブドウをつまんで食べて見ると、小粒だがとても甘い。アルゼンチンではポピュラーなマルベック種だそうだ。
ブドウの搾りかすが沢山あるので、肥料にするのか尋ねると、もう一度絞って安いワインを造るのだそうだ。夫がいつもスーパーで買ってくる格安ワインはこれかも。タネと皮は家畜の飼料、葉や茎は肥料になるそうで、ブドウは捨てる部分がないのだ。
ある程度見学者の人数が集まるとガイドが案内してくれる。最初にスペイン語、その後、私達のために特別に英語で説明してくれたが、あまりにも早口で良く分からない。私達のガイドのパウラが補足して説明してくれた。
工場内を一回りすると、マルベックワインの試飲と販売。皆が争うように数本、あるいはケースでワインを買うのを見て、夫もつられて2本買った。マルベックと言っても、値段はピンからキリまであるから、中間の1本14ペソのを買う。
家に帰ってからガイドブックを読むと、ワイナリーで買うと割高だから、町のスーパーで買えと書いてあったので、がっくり。
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その後ボデガ・ラ・アグリコーラに行き、製造工程の見学と数種類のワインを試飲してから、ここのブドウ園内にあるレストランで、パウラと一緒に食事。
木々に囲まれた瀟洒なレストランで、ここでも3種類の美味しいワインをたっぷり飲みながら、アサドに舌鼓を打つ。
アサドとはチョリソーと言う、フランクフルトのお化けのような巨大ソーセージや、牛、ブタ、ニワトリ、羊などの肉の塊を時間をかけて焼いたものだ。これが実に美味い。我が家の経済状況からすると日本じゃ考えられない贅沢三昧だ。
食事中パウラに色々話を聞くと、母と娘一人の母子家庭に育ち、大学でガイドの勉強をしたと言う。アルゼンチンのガイドの資格を得るのは難しいのだそうだ。
それにしても、パウラの日本についての知識のなさには参った。「犬を食べるの?」から始まって、何もかも韓国と中国と日本とごちゃまぜ。しまいにパウラの方が笑い出してしまった。
それでも日本のテクノロジーについては関心を持っていて、「テレビで見たけど、日本ではお手伝いロボットがいるんでしょう?」と聞く。どうやらドラえもんの世界が日本では実現してると思っていたようだ。これには今度は私のほうが吹き出してしまった。
昼食後車でホテルまで送ってもらい、パウラに別れを告げたが、たった二日で情が移り寂しかった。
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                メンドーサの中国料理店のアサド
 一休みしてから又友人を電話で呼び出し、ウィンドーショッピングを一緒に楽しむ。 夜、3人で又昨夜のレストランに行ったら、ダリ似のウェイターが驚きと喜びを一緒にした、くしゃくしゃの笑顔で「オー、オー」と、両手を広げ、旧来の知己を迎えたような歓迎振り。全く、この陽気な国民は二度目に会った時はみなアミーゴ(友達)なのだ。
 この日もお腹が膨れ上がるまで食べ、美味しいワインをたらふく飲んだ。ワインの方は別料金だが、アルコールが入ると気が大きくなって懐具合など忘れてしまう。
by ruriwada | 2007-07-18 03:45 | Comments(0)

瑠璃通信15

メンドーサとアンデス山脈への旅 Ⅱ
翌朝7時半、英語のガイド嬢パウラがホテルに私達を迎えに来た。インディオの血が濃いのか色黒だが、美人で身長180センチ位のスタイル抜群の若い女性である。我が家の二女に面影が似てるので、初対面の気がしない。
ツアーバスにはスペイン語のガイドも乗っていて、こちらは太り気味でガラガラ声の一見怖そうな中年女性である。
普段は外国人観光客が多いが、セマナサンタ期間はアルゼンチン人が断然多いのだそうだ。したがって英語のガイド嬢は私達夫婦の専属ということ。
あっという間に町を抜けると、幹線道路の両側は一面のブドウ畑。その後方に茶色い山並み、さらにその後ろに雪を頂いた山脈が連なっている。アンデス山脈は3つの山脈からなってるのだそうだ。それにしても雄大な眺めだ。
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         4200メートルの山上へ向かうバスの中から見た景色
一時間ほどすると、バスは幹線道路をはずれ、くねくね曲がるわき道へ入って行った。渓流沿いの林の間に別荘やバンガロー、オステルが点在している。紅葉が始まっていて、赤や黄の木々の間に見え隠れする小さな家々はおとぎの国のようだ。
バスはその中の一つのオステルで止まり、3人家族を拾ってから、又幹線道路に戻る。この辺りの高度はすでに1000メートルを越す。
しばらく走ると木は消え、岩山に囲まれた赤茶けた荒野に入った。道に沿って川が流れてるが、これはアンデス山脈の雪解け水。乾燥地帯のメンドーサの重要な水源でもあるから、冬に雪が少ないと夏場に水不足になるとのこと。
川の岸はまっすぐに切り立った、高さ2メートルぐらいの壁がずっと続いている。所々にある縦の裂け目がなければ、人口の堤防かと思ってしまうが、水の浸食で出来た、全く自然の造形であった。
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                  アンデス山脈
高度2000メートルになると、道は峡谷の間を走る。川の他に、線路も道に沿って右側になったり、鉄橋を超えて左側になったりしながらずっと見え隠れしている。今は使われていないが、昔はこの線でチリから果物を運んだのだそうだ。
崖っぷちや、崖下、急流の側など、よくもこんな場所を走れたものだ。この線路を作るのだって並大抵の辛苦ではなかっただろう。アルゼンチン人のすごさを見せつけられて感服してしまった。
周囲の岩山の色は赤、緑、黄、ピンクと、変化に富んでいる。銅、鉄、鈴、石灰など含有する鉱物で色が違うのだ。アルゼンチンは鉱物の資源豊かな国でもあるのだ。石油も埋蔵量が豊富らしい。
政府の高官がワイロをもらって、外国資本に開発の権利を売り渡してしまったので、せっかく資源に恵まれながら、他国に利益を全部持って行かれてしまう、とアルゼンチン人の友人がこぼしていたのを思い出し、納得できた。
10時頃、二つ目の山脈を越えたあたりのレストランで休憩。他の人達は朝食を食べ始めたが、私達は朝食を食べてきたので、トイレだけ借りる。このトイレでブエノスアイレス在住の知人の日本人女性にぱったり出くわしてびっくり。全く世の中はせまい。
この後、バスは幹線から外れて旧道を行く。幹線の方はアンデス山脈をトンネルを通ってチリに抜けるルートで、トンネルに入る手前にアルゼンチン側の税関があり、チリから来た車の列が1キロ以上も続いていた。
旧道はトンネルが出来る前のチリとの貿易路で、4200メートルの山を越えて行く。チリのスペインからの独立戦争時、アルゼンチンの国民的英雄サンマルティン将軍がアンデス山脈を越えてチリに入り、チリの独立を手助けしたそうだ。
その時、別隊のラスヘラス将軍率いる部隊が超えたのが、このルートだそうだが、当時は道もなく、しかも夜半真っ暗闇の中を通ったと言うから、想像を絶する難業だったろう。
この道を私達のバスは上るのだが、舗装のない石ころだらけ、路肩の滑り止めもない狭い急勾配の道で、ヘヤピンカーブが至る所にある。
山側を見れば、いつ落石が起こるか、谷側を見れば、落ちたらあの谷底までまっしぐらだなあ、と生きた心地がしない。夫も同じ気分だったらしく「俺はこんなとこ二度と来ないぞ」だって。
 途中すれ違う車の乗客達がこちらに向かって手を下に向けヒラヒラさせ、こちらのバスの人たちも同じ動作をする。パウラが笑いながら「こわいぞ、こわいぞ」と言うゼスチュアだと説明してくれた。
 この道をつい最近までトラックの群れがチリまで往復していたと言うのだから、信じられない。まさに命知らずのトラック野郎どもに脱帽。
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 こんな怖い思いをすっかり吹き飛ばしてくれるほど、4200メートルの山頂からの眺めは素晴らしかった。遠くに7千メートル弱の、アメリカ大陸(北も南も含めた)最高峰のアコンカグアの真っ白い雄姿が見える。空の色がこんなに青く美しいことも初めて知った。
 パウラが「急いで歩いてはいけない。急な動作もいけない」と、くどいように言う。そうしないと、たちまち呼吸困難に陥るらしい。
30分程頂上にいたが、夫は「二日酔いの気分になってきた」と言う。私は何ともなかった。夫は車酔いしやすい体質だが、私は船でも平気。高山病は車酔いする人はなりやすいのだろうか。
 頂上にはアルゼンチンの国旗とチリの国旗が掲げられている。ここは国境なのだ。
下りは慣れたのかそれ程恐怖を感じなかった。急斜面を下り切った所に、インカの橋と言われる、天然のイオウが固まって出来た黄色い橋がある。温泉も出るそうだ。イオウで作った土産物類を売っているが、中に、男物の本物の靴にイオウをかぶせて売ってるのには笑ってしまった。こんな物買う人がいるのだろうか。
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                      イオウの橋
 道沿いの川をカヤックで下る人達がかなりいた。流れの速さによってコースがあるとのこと。ラフティング、スキー、キャンプ、ロッククライミング、それに温泉まであって、ここはアウトドア派にはたまらない魅力だろう。
 メンドーサに戻る途中、行きがけに寄ったレストランで軽い食事を取る。ツアー仲間のご夫婦とテーブルが一緒だったので話し始めたら、私達のアパートからほんの200メートル位の所に住んでおられることが分かった。
もっと早く分かれば親しくなれたのに、残念だ。ガイドが違うので私達3人は離れがちだったのだ。スペイン語ガイドのおばさんは、しゃべることしゃべること。ほとんどノンストップでしゃべり続けていたのだが、さすがに燃料切れしたのか帰りのバスの中では静かだった。おかげで良く眠れた。
 余談だが、トイレ(頂上にはない)を借りるチップ代が、山を下るにつれ安くなった。平地になると、トイレの入り口付近におじいさんが座っていて、側の看板に「トイレは無料ですが、私達はチップで生活しています」と書いてある。これではチップを上げないわけにはいかない。
夕方7時ごろホテル到着。明日のワイナリー見学にもパウラが来てくれるとのこと。二女に似ているので親しみがわき、向こうもその気持ちが伝わったのか、話が弾み、すっかり打ち解けた仲になった。
 近くのパブで簡単な食事をしてホテルに戻ると、ピアノの生演奏が始まっていた。弾き手は中年男性で、曲が終わって拍手すると、嬉しそうに「グラシアス(ありがとう)」と言った。このホテルは部屋はそれ程広くはないが、従業員が全員とても感じが良い。
ロビーの真ん中に何故かリンゴが山盛りに飾ってあって、夫がふざけてポケットに入れるまねをすると、フロントの男性が、「どうぞ、どうぞ、お好きなだけ取って下さい」と、笑顔で言う。
 部屋に戻ると、リボンで結んだ卵型のチョコレートが置いてあったので聞くと、ホテルからのプレゼントだとのこと。メンドーサと言う町はとても人情が良いようだ。ポリスに道を聞いた時も、メンドーくさがらずに、自分の手帳を破って地図を書き、懇切丁寧に教えてくれた。
 
by ruriwada | 2007-07-13 22:44 | Comments(0)

瑠璃通信14

メンドーサとアンデス山脈への旅 Ⅰ
4月にセマナサンタ(イースター)の休暇を利用して、アンデス山脈とメンドーサへ行ってきた。メンドーサはアルゼンチンワインの70%を生産している、ワイン郷である。
ブエノスアイレスのオムニブスターミナル(二階立て長距離バスの発着所)から、19時発予定の夜行バスに乗る。ご多聞にもれず、30分遅れの出発。この国に来て半年も経つと、30分の遅れなど、ちっとも腹が立たなくなった。
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座席は二階のカマ(ベッドの意)席。座席が150度位倒れるが、前の席の人が倒すと、後ろの席の人の足の上に倒れる。ま、早い話が人間ドミノ倒し状態で、出入りが大変だ。トイレに行くのに、隣の夫の膝の上を、おっと失礼と、靴のまま乗り越える。
スイートだと180度横になれる、飛行機のファーストクラス並。料金もさほど違わないのだが、セマナサンタ中は、日本のゴールデンウィークみたいなもの。アルゼンチン人はとにかく旅行好きの国民だ。誰も彼もが旅行に出かけるから、よほど早めに買わないと席がない。
ブエノスアイレスからメンドーサまで約14時間。温かい夕食と朝のスナックつきだ。夕食時にはワインやソフトドリンクがお代わり自由。朝はコーヒー、紅茶、ジュース等がお代わりできて、片道約150ペソ(6000円)である。
ワインがお代わり自由ときいて、夫は貧乏根性を丸出しにして何杯もお代わりし、食事がすむや否や大イビキで寝てしまった。
10時丁度に消灯、騒々しい音で映画が始まったが、英語でスペイン語の字幕だ。どちらもあまり得意ではないから、見てるうちに自然とまぶたが重くなってきた。
翌朝6時頃目が覚めると、外は一面のオリーブ畑。スペインのオリーブ畑は赤茶けた大地にオリーブの木が大きく枝を広げ、隣の木と広い間隔があったのだが、ここのオリーブは雑草だらけの中に、丈の低いしょぼしょぼした木が密生している。広すぎて手入れがままならないのかも。
しばらくすると今度はブドウ畑が目に入ってきた。あとはブドウ畑が延々と続く。日本のブドウ畑と違い、太いごつごつした幹の上に葉を帽子の様にくっつけて、縦列に並んでいる様はまるで中国の兵馬傭だ。
メンドーサのオムニバスターミナルに着いたのは10時頃。チェックインは昼頃だと言うので、ホテルに荷物を預け、この町で働いている夫の友人(日本人)を電話で呼び出して、町をブラブラ案内してもらう。
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                     メンドーサの街の風景
その後、友人行きつけのレストランで、早速メンドーサの美味しいハウスワインで乾杯。夫はワインの飲みすぎとバスの長旅で疲れたのか、3時ごろチェックインしたと思ったら、またもや大イビキで寝てしまった。
7時ごろ、夫を無理やり起こして、夕食がてらの散策に出かけた。街路樹が多く、とても綺麗な町である。あちこちの広場でノミの市が開かれており、手作りの素朴な作品が多い。民芸品なども、ブエノスアイレスに比べて格安だったので、つい財布の紐を緩めて色々買い込んでしまった。
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                     メンドーサの街の風景
夫が「どうぞ何でも買ってちょうだい。いっそのこと全部買い占めれば」と嫌味たっぷり。
夕食は「地球の歩き方」に紹介されている、バイキングスタイルの中国料理店へ行ったら、八時半の開店までまだ30分あるのに、もう店の前には行列が出来ている。中国料理以外の品数も豊富、値段も安いので繁盛しているらしい。
チョビヒゲで画家のダリ似のウェイターお勧めのハウスワインを飲みながら、動けなくなるほど腹いっぱい食べた。食い意地が張ってる上に、根がケチだから、料金が決まっていると、つい腹八分どころか腹12分位食べてしまう。ほど良い酔いと満腹のせいで、ホテルに帰るや否やバタンキュー。
by ruriwada | 2007-07-13 02:21 | Comments(0)

瑠璃通信13

アルゼンチンと言えばタンゴ。そして私は大のタンゴ好き。夫のアルゼンチン赴任が決った時、私は仕事も、大学院生の息子も放り出して夫について来てしまった。
帰国するまでに絶対、スペイン語とタンゴをマスターしてやるぞーと、大張り切りではるばるやって来たのはいいが、タンゴショーを見たとたんずっこけた。
女性の方は足を高く上げたり、男性に空中に持ち上げられたりと、まさに飛んだり跳ねたりのアクロバット。一回でもあんなに高く足を上げたら、たちまちぎっくり腰は間違いない。もっとも、上げたくても上がらないが。タンゴは見るだけにしてあきらめ、スペイン語の習得に専念することにした。
タンゴは最初、ブエノスアイレスのボカ地区で、貧しい移民達や酔いどれ船員達が男同士で余興で踊っていたのだそうだ。イタリアはジェノバの港から、貧しい移民たちがたどり着いたのが、ラプラタ川(銀の川の意味)の河口、ボカである。そしてこのボカの通りがかの有名なタンゴ曲「カミニート(小道)」である。タンゴの歌詞は失恋や恋慕の歌が大半で、ま、日本の演歌と言ったところ。
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タンゲリア ” ラ・ベンタナ ”
ボカ地区やフロリダ通りと言う歩行者専用通りでは、大道芸人達によるタンゴの踊りが毎日のように見られる。日曜には市内のあちこちの公園でもタダで見ることが出来る。
2月にはタンゴフェスティバルがブエノスアイレスで開かれ、市内各地のイベント会場でプロによるタンゴ曲の演奏やダンスをただで見ることが出来た。
期間中バスに乗ったら青年に「にほんごはなしますか?」と、たどたどしい日本語で話しかけられた。コルドバ(ブエノスアイレスから700キロの所にある、アルゼンチン第2の都市)からフェスティバルに参加しに来たタンゴバンドのギター弾きだそうで、日本公演にも何度か行ったことがあるとのこと。
日本で知り合った女性に、「あなたはキレイです」と言うべきところを「あなたはキライです」と言ってしまい、まさに嫌われてしまったと、笑っていた。私もれいのククルーチョ(ソフトアイス)とクカラーチャ(ゴキブリ)を混同した話をすると、大笑いしていた。
8月にはタンゴ世界競技大会が行われる。しかも我が家のすぐ近くの会場で行われると言うから、今から楽しみにしている。
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        ラ・ベンタナのダンサーとツーショット
食事をしたり飲んだりしながらタンゴが見れる店をタンゲリアと言うが、ブエノスアイレス市内にはディナーつきのタンゴショーを見せる大型のタンゲリアがいくつかある。これは観光客向けに、舞台の仕掛けも大げさ、踊りもアクロバット的な派手な振り付けが多い。 
太ももまで切れ目の入ったスカートをクルクル、ヒラヒラ回しながら踊るのだが、実に器用に腰をひねるので、けして下着は見えない。パンチラを期待して行った男性諸君は残念だろう。
私が行ったラ・ベンタナは有名なタンゲリアで、タンゴの他にフォルクローレや、ガウチョのダンス、ケーナの合奏など、盛り沢山のサービスだった。
それにしてもダンサー達のかっこいいこと!男性も女性もほっそりと、背が高く、おまけに美男美女ときてるから、うっとりと見とれてしまう。
客席はせいぜい20くらい、飲み物と食べ物はほんのおつまみ程度と言う、バーのようなタンゲリアも数多くある。ダンサーも1組か2組で、派手なパフォーマンスもないが、美味しいアルゼンチンワインを手に、ブエノスアイレスの夜をじっくり味わうにはこちらがぴったりだ。
ミロンガと言う、客がタンゴを踊りに行くバーも沢山あって、こちらは手頃な値段なので、地元の人達は老夫婦でも気軽に踊りに行くらしい。
日本では最近タンゴブームとかで、ブエノスアイレスにはタンゴを習いに来る日本人がけっこういる。町中で何人かの日本人女性と出会って話すと、「タンゴを習いに来た」と言う。若い人も中年女性もいた。
スペイン語を習ってる学校ではタンゴも教えていて、先生はプロとして活躍中の日本人女性。このヨウコ先生から
「アクロバット的なのは観光客に受けるためにやってるのであって、本物は社交ダンスとして老夫婦でも踊れるような簡単なものだ。美容体操と思ってやればいい」
とおだてられ、一度はあきらめたタンゴを習い始めた。
ところがなんのその、基本でもかなりハード。「ほら、頭を上げて!下を見ない!ぴょこぴょこ体を動かさないの!」と、ヨウコ先生に怒られながら、一時間半のレッスンを終えるとクタクタ。
今のところはタンゴどころか、ダンゴ虫がころころ転がり回ってる感じで、こんなダンゴ虫のお相手を余儀なくされてる若いA君は気の毒だ。ヨウコ先生も私のあまりの下手さに時々ため息をついておられるが、そこはオバタリアン。
「上手な人には誰でも教えられるけど、こんなへたっぴーに教えるのは教え甲斐があるでしょう」とうそぶいて、先生を苦笑いさせている。
タンゴは一向に上達しなくても、姿勢が良くなることだけは確かだから頑張っているが、翌日は腰をさすり、足をひきずりの状態。
 先日はタンゴのレッスンの後、二人の日本人青年と知り合った。タンゴの踊りではなく、楽器のほうの勉強に来ているのだそうだ。バンドネオンをやってるという。
「バンドネオンって何ですか?」と聞いたら、
「ええっ!?タンゴ習ってるのにバンドネオン知らなかったの?」と、ヨウコ先生がのけぞった。・・・ごもっとも。ずっとアコーディオンだとばかり思っていたのだ。
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          小さなタンゲリア
さて、そのヨウコ先生が私のアパートから1km程の所にあるタンゲリアで踊られると言うので見に行った。幸い、夜九時半という割と早い(!)時間の開始なので、いつもは9時半には寝てしまう夫をなだめすかして、用心棒代わりについてきてもらった。
外見は普通の小さなバーだが、壁際に30センチほどの高さのステージがあり、ステージと客席の間に一坪ちょっと位のフロアがある。やたら愛想の良いモソ(給仕)お勧めの1本20ペソ(約800円)のマルベックの赤ワインを飲み、1個3ペソ(120円)のエンパニャダをつまむ。
バンドネオンとヴァイオリンとコントラバスとピアノだけのバンドのメンバーは中年以上のロートル達だが、黒い服が似合ってかっこいい。
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       ヨウコ先生のタンゴショー(Cafe Homero・・パレルモ地区)
最初の数曲は司会を兼ねた歌手がしぶい声を聞かせてくれた後、突然、華麗なペアのダンサーがフロアに現れた。昼間の男性的な格好の先生からは想像もつかないような、妖艶な姿に、しばし唖然。
一曲ごとにドレスを変えて、“夜の蝶”は語弊があるが、まさに蝶の如くヒラヒラ、そして激しくしかも軽やかに踊る姿は優雅で、見ていてため息がでる。
10年習っても私にはこんなに軽やかに踊れそうもないが、帰国するまでにはダンゴ虫コロコロ状態は卒業して、せめてアヒルのダンスぐらいにはなりたいものだ。ああ・・・
by ruriwada | 2007-07-06 02:46 | Comments(1)

瑠璃通信12

〔ゴキブリ感電死!〕
 昨年11月にブエノスアイレスで作ってもらった電圧安定器が早くも壊れた。最近買ってきたばかりのイヤホンは最初から片方が聞こえないし、新品の電気スタンドは点かない(これはさすがに取り替えてくれたが)。万事この調子なので、ジュリアスシーザーじゃないが、「安定器よ、おまえもか」と思わずつぶやいた。
夫が「なんだ、ヒューズが飛んだのか」と、ヒューズを取り替えたついでに安定器を分解。とたんに「ウワッ!」
何事かと覗き込むと、開けてびっくり玉手箱。何と中で十匹ほどの小さなゴキブリが感電死していたのだ。1匹大きめのがいて、どうもこれがショートさせたらしい。
ヒューズを取り替えたら無事直ったのだが、これには参った。我がゴキブリハウスには毎月、消毒剤入噴霧器を抱えた、ゴーストバスターならぬゴキブリバスターのお兄さん(大学で英語と社会学を勉強したという)が来てくれるのだが、冬になっても一向にいなくならない。一日中温かい安定器の中は、ゴキちゃん達には理想的家に思えたんだろうなあ。祈るご冥福・・・
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          我がゴキブリハウス、向かって左の3階
〔踊る洗濯機〕
 びっくりついでに我が家の踊る洗濯機をご披露しよう。我がアパートの家具、大型電化製品類は備え付けなのだが、何しろ全部古い。掃除機は耳をつんざくような轟音を立てるので、とても使えない。
洗濯機も掃除機には負けるがかなりの大音響で、しかも動く。ガタガタ、ゴトゴト、まるでタンゴでも踊ってるかのように、重い図体を右へ左へ揺すりながらせり出して来るのだ。
数日すると置き場所から十数センチ位ずれるので、その度に押し込んでいる。一度、洗剤の箱を洗濯機の上に乗せたままスイッチを入れたら、ものの見事に箱が下に落ちて中身が全部こぼれてしまった。
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        我が家のベランダから前の植物園(猫園)が見える
〔銀行にお金がない!?〕
 この国ではどんな些細な事でも他人に手伝ってもらえば、チップが必要だから小銭がいる。それにコレクティボ(バス)はコインしか受け付けない(ターミナルでは売り場があるが)から、もっぱらコレクティボを利用している我が家ではコインがいくらあっても足りない。
 コインに両替してもらおうと、最寄の銀行へ行った。この銀行、建物も石造り、床も椅子もカウンターも全部大理石で堂々としていて、まるで博物館のようである。窓口の前は歩道まではみ出す長蛇の列。一時間並んでやっと私の番が来た。ところが・・
「カンビオ(両替)」と言ったとたん、窓口の中年の行員は能面のような顔で「ノーアイ(ない)」とにべもない。えっ?と思わず耳を疑って、「10ペソ分(約400円)だけでも」と、重ねて言ったのだが、「ノー、ノーテネモス(もっていない)」と、取り付く島も無い。
いくら私がこの銀行と取引がないといったって、そりゃないでしょうが。カッときて、「銀行なのにお金がないんですって!」と、並んでる人達に聞こえるように大声で怒鳴ってやりたかったが、悔しいが何せ言葉が出てこない。
すごすごと尻尾を巻いて退散し、べそをかきながら戻って来た私の顔を見て、家の前の花屋の小父さん、ルイスが「どうした?」と訊く。
「コインに換えてもらいに銀行に行ったら断られた」と言うと、「バスに乗るためか?2ペソ分なら換えてあげるよ」と優しく言ってくれた。冷たくあしらわれた後だけに嬉しくて思わず涙ぐみそうになった。
「ありがとう。でも沢山欲しいから」と言うと「それなら、もう一つ向こうのナショナル銀行へ行ってみたら」と勧めてくれた。
ナショナル銀行へ行ったら、ここも長蛇の列。あきらめて家に帰り、翌日夫がナショナル銀行に行ったら換えてくれた。
 この話をアルゼンチン人にすると、気の毒そうな顔して「本当になかったんだと思う。毎月初めは10日ぐらいまで、すごく混んで、銀行にお金がなくなってしまうことが良くある。特にコインが」と言う。これには唖然とした。彼女は更に「アルゼンチンではどこの銀行でも行員が無愛想で不親切だ」と付け加えた。
 銀行の建物内には椅子は数人分しかなく、番号札もないから、客は長時間立ちっぱなし。外にはみ出た人達は炎天下あるいは寒風にさらされながら待たねばならない。銀行は客商売だという意識はこの国にはないようだ。客の方は文句一つ言わずに黙々と並んでるから感心してしまう。
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         金がないと言った銀行
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             猫園のネコちゃん達
    
by ruriwada | 2007-07-03 23:57 | Comments(0)